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翻訳劇も4本目

めでたく初日。舞台の感想は勢いが大事だ。
人の感想を読むと、なんだか自分がえらいバカなんじゃないかと思ったり、何もわかってないような気がして落ち込むから、なるべく情報を入れる前に、恥ずかしくても一気に書くことにする。
それが安くないお金を払って、日程を調整して、舞台と向き合った私の、私に向けての礼儀じゃないかしらと思うから。うん。

そんな訳で、翻訳劇も4本目。
ニコラ、ソン、パーシー、お次はレオ。
レオは21歳、西から東に向けて自転車でアメリカ横断している途中で事故に遭い、大切な親友を亡くす。心に傷を追いながらも旅を続け、目標を失い、祖母の家に逃げるように現れる。

幕開け、ステージはヴェラの部屋。
使い込まれた家具、程よく雑多、使いやすい位置に物が置かれ、これまでの生活の歴史を感じさせる、おばあちゃんの部屋。ああ、もう愛おしい。

そこへ深夜3時に登場する、孫。

深夜3時。

軽口を叩き、さくさくと話を進めようとする孫。
弱さは見せたくないもんね。
でも、おばあちゃんは91歳ですからね、気にもせず、困ったときは困ったと言うのです。そのリアクションにしっかり傷つき(そもそも勝手に来てるのよ)、キレながら荷物を詰め直すも、ヴェラに止められ、泊まることに。もういきなりですが、高畑さん超絶うまい。ここは、ヴェラが生活している空間なんだなと、おばあちゃんの家の匂いを思い出す。

あと、初見レオの感想、少しめんどくさいな笑

レオ。
少しの言葉でイラッとして、ビクッとして、すぐ諦める。それは旅の傷だけじゃなくて、それまでの家族との関係なんかがあってのことなんだけども。このほんの5分程度のやり取りでそれが痛いほど伝わってきたので、これは圭人くんすばらしいなと、この先を期待。

さても突然始まったおばあちゃんと孫の生活は、あったかほのぼのライフとはいかず、価値観の世代間ギャップやら、おばあちゃん特有の鈍い感じやら、図々しい言い方にイライラする孫とのやり取りから始まる。

いや待て、孫。

勝手に来ておいて、口数が多くて達者、わかった風に語り、あー言えばこう言うで、年寄りを少し馬鹿にする。なんなんだ孫。ボルダリングジムくらい自分で探しなよ。おばあちゃんが知るわけなかろう。
あと金無いのかよ。

それでも一緒に暮らすうち、おばあちゃんに寄り添い、思い出話やご近所さんの愚痴に付き合う一面を見せたりして、優しさを感じる場面も見えてくる。
圭人くん、ほんと可愛いから、おばあちゃんに優しく話すところなんて、え、レオって中学生くらいだっけ?と思うほど幼く見えるし、語り口が甘い。

もともとレオは少し浮ついた感じの子だったと思うんだよね。皮肉屋で、自分のことは棚に上げ、相手の言葉に傷ついたり、茶化したり。それは繊細さの裏返しだけど。
これ、台本解釈によっては、かなりチャラさ強めでもできそうだけど、圭人くんレオはマイルド。
もともと柔らかい雰囲気と品の良さがあるから、少しいじわるな言い方しても、許容できる雰囲気。

だけどそれは逆に、下品な言葉使いや、乱暴な言葉を使うシーンでの違和感に繋がる。レオのセリフで、そこがしっくり来てない感じはあった。
これは、私が圭人くんの動画やらなんやらを普段から見ているから、そこの違和感ってのもあるのかな。
「うるせぇ」とか「ふざけんな」がむず痒い。なんとなくセリフが馴染んでない感じ。まぁでも、そうよな、初日だもん、これ。
(個人的に思うけど、フォトコールじゃなくて、しっかり客入れしてゲネプロしたらいいのになと。
人を入れてやると全然違うと思うんだよね、いきなり満席でやるの雰囲気掴みにくいよね…。ご時世だけども)

圭人くん、レオの不安定さはほんとうまい。神経質に頬を動かしたり、時折苦しそうに顔を歪め、膝をつく。
ヴェラに事故の話をするシーンは、優しさが溢れていて、切なくて、悲しくて、難しいシーンだけど自然な長台詞だった。ここ、すごく良い。

あとお気に入りはふたりでパイプを吸うシーン。へろへろのレオかわいい。ここ、毎回同じ動きするかわからないけど、クッション抱いて床にぺたっとうつ伏せになってたのが最高にかわいくて、

もうリアコ製造機なんですよ、この人。


もひとつは、玄関の鍵をかけたかけないで揉めるところ。ここはヴェラがかわいいし、全力で返すレオもかわいい。家族で暮らしていると、こんなことあるよね。蛇口が取れたくだりとか。ヴェラが久しぶりに人と暮らして、がんばって気を遣っているけれど、その変化にイライラしたり、楽しくなったりしているのが最高に愛おしい。笑いながらも涙が出ちゃう。

ふたりを巡るふたりの女

ベックとは彼女というよりは、もう関係が終わりかけていて、その距離感はよく出てた。若いふたりって感じ。ベック、難しいよね。おばあちゃんの何気ないおしゃべりをガチ目に受け止めて、「私はそんな古くさいお説教は聞かない」と跳ね返す。自分の価値観に合わないものをすかさず否定する姿は今どきかな。リビングの何気ない会話で、91歳の価値観を真っ向から否定する、でもそんな自分に嫌悪してる部分もあって、ベックの中の、今の時代こうあるべき、なアップデートされた価値観と本来の優しさのバランスがぐっちゃぐちゃで、森川さんの繊細さとマッチしてた。

逆にアマンダとはゆきずりの感じがよい。ベックには話せない本音をアマンダに話すレオ。
一気に解放されて、慰めにお互いを求めるのは良かった、オチがついちゃったけどもw
(圭人くん、キスシーンどうかなと思ってたけど、さわやかよ、なんか。なんだろうなあの清潔感。ゆきずりなのにw  先週の建築家と皇帝のキスシーンがえげつなかったからなのか)

あと、瀬戸さんと森川さん、顔が似てるんだけど、ベックは多分白人のアメリカ人で、アマンダは中国人、ここ、わかりづらいかな、全員東洋人だし。アマンダの人種故のしんどさとか、嫌悪を理解するには、アマンダが中国系移民ってとこは割と重要ではないかと思うけど…。

で、レオとヴェラの物語


他者と関わることで、自己を見つめ直すって言うのは、意外にも「建築家とアッシリア皇帝」と同じテーマな気がするんだけど、まぁ、どうしてこうも違うのか、演劇って面白いね。しみじみ。

心の傷を負っても、それを心の奥にしまって、他者と語り合わず、そのくせ何かの折にその傷に触られたら、怒り、悲しむ。そんな人、増えてる気がするな。他者と時間を共有することで、いま自分がいる場所だったり、自分がやるべきこと、やりたいことが見えてくる。それと同時に相手のこと、相手の気持ちにも寄り添えるようになる。そのことに気付くってことが、大人になるってことなのかな。知ると知らないとでは世界の見方は変わる。
アマンダが「一緒に住んでいたら、いろんなこと聞いちゃうな(ニュアンス)」って言うシーンがあって、それまでレオは自分のことで精一杯で、ヴェラがこの家でどんな10年を過ごしてきたのか、ほとんど聞いてこなかった。短いセリフだけど、そんな気付きがお互いを少しずつ変えていく。大事件は無いけれど、とても良質な時間。

ヴェラは、言葉が出ないのをとにかく嫌がっていて、もう、わかる、それわかる、の連続。
これを台本どおりにやっているという高畑さん。
恐ろしい。

夫の言葉をもっと聞いておけば良かった
私の考えは夫の言葉
言葉が出ないのがいちばん悔しい

ラストで、レオが夫のスーツを着て、ヴェラから生まれた言葉を、嬉しそうに書きとめる姿をなんとも嬉しそうな顔で眺める姿が印象的。
ここ、最高に良い。
レオもかわいいけど、ぜひヴェラも見て欲しい。

レオもまた、少しずつ変わっていく。
お向かいさんのSOSに気付き、助けに走る。
何かあったらお互いに助けると約束したヴェラの言葉をきちんと聞いてたんだよね。
お姉さんのことも、ベックのことも傷付けたけど、しっかりとそれを受け止めて、少しずつ消化していこうとする姿は、一幕の頭とは別人のよう。
本来、彼が持っている快活さや優しさが素直に出て、自信にあふれて、未来に向かう若者の姿は美しい。

上村さんの演出

横に真っ直ぐなセットや明かりが登場することはよくあって、今回もそれはあった。あの横に真っ直ぐな、水平線のような美術が希望や未来を連想させる。特に屋上のシーンの緑は印象的。
音楽も、途中の不協和音ぽい曲調から、だんだんと美しくなっていく。
場面展開のたびに幕が上がるのは、カメラのようで、シーンひとつひとつを目に焼き付けるように観た。
明かりは全体的に抑えめ、ラストにふわっと明るくなるのがすてき。
奥のカーテンがなびいて、籠っていた空気が流れていくのを感じる。

個人的に、割と重めの上村演出作品ばかり観ていて、それは、膝の上にどんどん重しを乗せられるような気持ちになる作品が多いんだけど、この作品は逆に心が軽くなるような、重しを外してくれるような気分になった。
派手さは少ないけど、わたしはやはり上村さんの演出、大好きだなぁ。

カーテンコールでの、レオとヴェラから、圭人くんと高畑さんに戻ったときの笑顔がまたかわいい。
ぜひ劇場で確かめてください。

あいかわらず感想が長いけど、初日なので思うまま。この後の進化が楽しみ。

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