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『人生は死ぬまでの暇つぶし』
決して病んだりはしていない。
むしろ今は楽しい気持ちだ。
書いてるいまは午前中で、海が近いコメダ珈琲にいる。ふとTwitterで流れてきたこの言葉に衝撃を受けたのだ。
『人生は死ぬまでの暇つぶし』
果たして誰が言ったのかは決してわからない。
一つだけ言えるのは、なんだか心が軽くなり、自分のいまの行動が肯定された気がした。
そう、コメダ珈琲で仕事をサボっていたのだ!ww
サボりとは語弊がある。実際は午後からの商談の資料づくりをしていたのだが、側からみたらスーツをきてカフェでコーヒーを飲んでいるのだから、サボりと捉えられてもおかしくはない。現にオフィスのデスクで仕事するより気持ちは何倍も楽なのだ。
(別にオフィスの雰囲気が悪いとか決してないのだが。)
大人は死ぬまでの暇つぶしのために、仕事をしている。とふと思う。
極論、いまの仕事を辞めてアルバイトだけやっていても死ぬことはない。
もちろん家族を養うためとか、誰かのために働くということは非常に素晴らしいことだし、そう思って働いている人が大半だろう。それを否定する気はさらさらない。
しかしながら、僕の意見はこうだ。
暇のつぶし方がわからないのだ。
だから暇が怖いのだ。
暇が怖いから仕事をしてあたかも忙しいふりをしているのだ。
しかしながら、人は休みがほしいだの、金が欲しいだの嘆く。
僕からしたら暇つぶしの一つの選択肢として、仕事があるだけなんだと思うのだ。別に遊びに行ってもゲームをしてもいいのだ。暇つぶしなんだから。
お金が必要なのは、暇つぶしの選択肢が増えるからだ。学歴が必要なのも暇つぶしの選択肢が増えるからだ。趣味をつくるのも暇つぶし。寝ることも暇つぶしなのだ。
そう考えると、自分の人生は自分で作ることができると思うのだ。自分の暇つぶしは自分で決めていい。決して他人に暇つぶしの内容を決められてはならない。人生の人生を楽しんでデザインしてほしい。人生は暇つぶし。暇つぶし。ひつまぶし食いたい。
皆様に最高の暇つぶしができますことを願っております。
おわり
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