創作者は孤独であるべきか?

こんにちは、komagomeです。いよいよ師走本番といった天気ですが皆さま私生活は充実していますか?私はしています。特別なにがあっただのということは無いですが、これと言って悪いことも起こらずなんとなく安定した私生活を送れていました。ただその弊害というべきでしょうか、本当に筆が進みませんでした。

下書きこそあれど、全ての記事をなあなあにして「いつか書こう」と後回しをしており、そもそも今までnoteを書く際はノートパソコンでしたがそれすら億劫で開けなかったため、今はスマホでぽちぽちしております。

きっとnote執筆者、いや、全ての創作者に分かることでしょうが、実生活でことが上手く行き過ぎると一向に筆が進まないのです。

今年の夏、私は非常に精神が追いやられていました。その時の生活はある意味創作者の鑑でした。やるべき事に追われながらとにかく言語化。小さなノートを持ち歩き思った事を記録するのは元々の習慣でしたが、その時期は隙さえあれば、いや、最早隙が無くとも思い付いたらノートに手を伸ばしひたすら内省。情報をまとめて考えたことをnoteで執筆。とにかく思考の整理をしなければ落ち着かない状況でした。

しかし状況が落ち着き始め、現状打破のための内省の必要性が無くなってくるとそれまであった狂気入り混じる言語化への執着は失せ、全ての思考を「なんとなく」で落ち着かせてしまうのです。恐ろしい話ですね。

思えば活字の世界は悩み苦しむ人間が集まる孤独の場です。執筆者は自分の悩みと向き合いながら活字の世界を作り、また読者は現実で解決しきれない何かを抱えて活字の世界へ1人で入り込むのですから。

この結論に達した時私は頭を抱えました。幸せになりたいと願いながらも活字の世界という名の孤独に触れないと満足できない人生…。天才ならまだしも、私は孤独にならないと活字の世界にどっぷりと迷い込み、楽しむことができないのです。ある程度の均衡を保てたら良いですが、それも難しいですしね。

創作者として輝くためには孤独が必須なのでしょうか。今はまだ結論付けができていませんが、これからも探らなければならないものと考えているのでまた時間を空けて考えたいですね。それでは皆さん楽しく孤独とお付き合いしてください。素敵な活字ライフを~。


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