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嗚呼、過ぎ去りし何かよ

note(ノート)。
読み手としてはほどほどにお世話になってきたが、
書き手としては随分と久しぶりにエディタを開く。

随分と多機能になり、それでいて使いやすいままだ。

自分の書いた記事をみると3~4年前ぐらいで更新がとまっている。

当時わたしは、表参道のキラッとしたオフィスで
スタートアップな環境で働いていた。
その会社は後に解散になり、大手に目をかけてもらい雇用してもらえたが
性懲りも無くまた転職することにした。

さておき。

note(ノート)よ、まだちゃんとしているな。
使いやすくて、AIとか流行りの何かも取り入れていて、
炎上とかも乗り越えて、社名変えたり上場したりしているな。
(別にいいじゃないか、ダウンラウンドだって)

そういえばドメインを変えた記事もバズってたな。
別に詳細はわかりもしないのに、すげえって思ったこともあったわ。

3年もするとだ。
人間すげえ変わる。自分ですら変わった。
ライフイベントめっちゃやったし、肩の力も抜けてきた。
犬も飼い始めた(さんぽ最高🐕)
この変態チャンスをあと何度残しているかわからんが、
変われたということはいいことだ。

一方note(ノート)よ。
めっちゃ変わったうえに、なんか芯のある変わり方をしたっぽいな。
意識は、まだ高いな。
コロナ前ぐらいに置いていったキラキラを、まだ根絶やしていないな。
そういう意味では変わってないし、
なんかアレだ、夢を追い続けて叶えた同期みたいにみえるな。

変われたということはいいことだ。
個人の人生において、変化が少ない人間は魅力的なケースが少ないと思う。
法人の人生でも、いろいろなイベントを乗り越えて組織をタフにすることは重要である一方で、不変的な何かがあることもまた魅力的である条件なのかもしれない。
仰々しいミッション・ビジョンとかを策定する大義が少しわかった気持ちだ。

note(ノート)よ。
動画コンテンツに媚びず、情報商材の温床にならず、
高い意識を持ち、時に柔軟に、時に冷徹に、これからも伸びていって欲しい。

2010年代に若者をやって、
今からどんどんおじさんになっていく世代との、
約束だよ。

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