『日本の選挙』(中公新書で学ぶ現代日本の政治①)

 今回は『日本の選挙 何を変えれば政治が変わるのか』(加藤秀治郎、中公新書、2003年)をテキストとして、日本の選挙のあり方について勉強していきたいと思います。
 本書は、著者が欧米では当然のように理解されているが日本ではあまり話題にならないと喝破する選挙制度の理念から解き明かしつつ、曖昧なやり方を続けている日本の選挙を批判していくというスタイルで書かれています。もっとも、本書が出版されたのは2003年なので隔世の感があるようにも感じられますが、著者は本書の内容について「著者なりの特別の考えを述べるというよりは、政治学で標準的知識とされるべき事項に重点を置く」(第1章)と書いており、選挙の理論的な側面については時間を経ても持ち堪えるものがあると思います。
 他方で、著者の日本の選挙制度に関する憤怒が私のような選挙制度の前提知識に乏しい素人にはあまり伝わらずピンと来ないところもあって、やや読みにくかったこともありました。例えば、私が物心が付いた頃にはすでに廃止となっていた中選挙区制なるものがしばしば槍玉に上がっていて、この時代を経験して一定の共通理解がある読者には皮膚感覚で納得されるのかもしれませんが、私にとってはすんなりと腑に落ちるものではなかったのです。もちろん、著者の主張を丁寧に追っていくと次第にどういうことなのかが分かってきたので、そうした理解も踏まえつつ、選挙について勉強していければと思います。なお、当記事は正確なレジュメという趣旨ではございません、念のため。

選挙制度とその理念

 さて、本書を通底している著者の問題意識として、それぞれの選挙制度にはその前提となる理念があるのであって、それを理解せずに選挙制度を印象論であれこれ議論するから、訳の分からないことを言う輩が出てくる、ということがあると思います。選挙制度の理念からズレることを言うと著者の手厳しいツッコミをくらう羽目になるようです。ということで、とりあえずはその選挙制度とその理念についてしっかり理解した方が良いのでしょう。

 ものすごく基本的なことではありますが、選挙制度には大きく多数代表制比例代表制があり、諸外国の選挙制度はこの二者択一です。「「世論を鏡のように反映する議会」を目指すのが、比例代表制であり、「民主政治は多数決の政治」と、割りきった考え方をし、選挙区の多数派の代表を議会に送れば良いと考えるのが、小選挙区制(多数代表制)である」(第1章)と説明されます。

多数代表制
 まず、伝統的にウォルター・バジョット(1826〜77年)とカール・フリードリッヒ(1901〜84年)が支持する多数代表制を確認します。

図解1

 多数代表制の仕組みをイメージ図にすると上のようになると思われます。ここで、全選挙区のうちのひとつの選挙区に注目すると、有権者は定数Nに対してN名の候補者に投票することになります。上図では、有権者は定数1に対して1名の候補者に投票しており、これを特に小選挙区制といいます。また、例えば定数2に対して2名の候補者に投票する方式を複数投票制といいます。いずれにしても定数=記名数となります。この方式のポイントは、選挙区において最も票を集めた候補者だけが議会に議席を得るということであり、それ以外の候補者は一切の議席を得ないので、はっきりとした多数決の原理を実現しているということです。複数投票制であっても、A党が定数2に対して2名の候補者を擁立することにより、A党の支持者はこの2名に投票するので小選挙区制と同じ結果になると考えられます。ただし、より定数が大きくなると有権者はバランスをとって2票はA党に1票はB党に、といったような投票行動をとりはじめる可能性もありますし、定数が増えて選ばなければならない候補者が増えるほど情報収集が負担になってきて、次第に選択がいい加減になっていくという情報コストの問題があります。とすれば、小選挙区制と複数投票制のどちらかならば小選挙区制で選挙をするのがオーソドックスということになります。
 ところで、大多数の支持を得るといっても、それがどの程度の得票率だったのかという問題もあります。極端な話、候補者が5名いて投票の結果が5:4:4:4:3だったとしたらどうすべきでしょうか。この点については、得票率に関わらず一番多く票を獲得できた候補者が当選する方式を相対的多数代表制といいます。この方式でやると得票率が低くても一位は一位なので当選となりますが(上記の例だと得票率25%で当選)、その程度の得票率しかない多数派の代表とはいかがなものかと思われます。ちなみに、日本の衆院選はこの方式で行われています。また、選挙制度はどのような政党を形成するのかということについてこの関係をまとめたモーリス・デュヴェルジェ(1917〜2014)によれば、相対的多数代表制で選挙をやると第1、第2の政党の候補者しか当選しないし、有権者もそれを理解して中小政党には投票しなくなる結果、二党制をもたらす可能性があります。中小政党はバラバラで勝ち目がないので、次第に連合を組んでいくことも考えられます。
 なお、二党制については誤解されがちですが、これは議会における議席が第1党と第2党で競合していることではなく、選挙区においてそれぞれの党が競合した結果、どちらかが議会で多数派を形成することであり、政権与党の実績によっては政権交代がいつでも可能であるような状況を指します。経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950)は、二党制の下では有権者は政権与党に対していつ政権交代させてやっても構わないという態度を示すことができ、まさにこのことによって与党は国民の意向を汲もうとするので多数代表制がよいと考えました。
 一方、得票率は過半数を超えるべきだとする絶対的多数代表制があります。そのひとつに二回投票制があり、これは上位当選者でもう一度選挙をして50%以上得票する候補者を作り出す方式です。上述のデュヴェルジェによれば、二回投票制をとると政党間で連合する傾向が生まれます。また、優先順位付投票制というものもあります。これはやや手の混んだ方式ですが、まず有権者がすべての候補者に順位をつけて投票し、開票の結果最下位になった候補者を落選させるが、落選した候補者を一位に選んでいた有権者がどの候補者を二位選んでいたかを調べて、その候補者への投票を改めて有効とする。こうして、複数の候補者で食い合っていた票を凝縮していき、過半数の得票率を占める候補者が出るまで同じ作業を続けます。このメリットはわざわざ2度の投票をする必要がないということですが、すべてに順位をつけるとなると、これまた情報コストの問題が生じるでしょう。

 さて、イギリスの議院内閣制を念頭におくバジョットは、その著書『イギリス憲政論』において多数代表制を支持しています。もし選挙で多くの支持を集められる大政党があれば、これが議会の過半数を占め、円滑に首相を選出できるからです。議院内閣制においては「機能する多数派」が重要であるという考え方です。フリードリッヒも、議院内閣制の下では「政権の基盤を作ること」が最重要事項であり、立法機能はそれと「同じほどの重要性はもたない」としており(『立憲政治と民主制』)、要するに、多数代表制は多数派が国を堅実に運営していくことが想定された選挙制度ということになりますし、逆に言えば、多数代表制をとる以上は議会に機能する多数派を創り出すことを考慮しながら選挙制度を考えていかなければならないということです。

比例代表制
 次に、比例代表制を確認します。J・S・ミル(1806〜73年)がその代表的論者として取り上げられています。ミルは、多数代表制の下で選挙をすると少数派の代表が生まれないので、彼らにとっては事実上の「選挙権の剥奪」になると批判しました。そこで注目したのが同時代の弁護士ヘアーが主張した移譲式比例代表制と呼ばれる方式です。

選挙図解2

 これによれば、全国を1つの選挙区とし、有権者は自らの好きな候補者を順位づけて投票します。そして、当該候補者が必要得票数(当選基数と呼ばれます)を超えて当選した場合は、その余剰分が同じ政党の次点の候補者に回されます。例えば、上図のA党の候補者で下から5番目の赤丸の人物は、同党のその他の当選候補者の余剰分をもらって当選したことになります。
 当選基数については、ヘアーの方式によれば、有効投票数を議席定数で割ることで算出されます。以下に単純化した例を示してみます。

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例えば、100の有効投票数があったとして、定数が10なら、当選基数は10とされ、それ以上を獲得した候補者については、次点の同じ党の候補者に回していくと、図のように得票率が各党の議会での議席占有率が一致します。なお、得票数のばらつきによっては、当選議員の数が定数に届かないこともあるので、そのときにどう調整するかについても様々な方式があるようです。
 また、ヘアー方式のように当選基数を求めず、政党全体としての得票数を一定の数字で割り、その結果の大きいものから順に議席を配分していく方式があります。例えば、日本で採用されているドント方式は1、2、3と割っていくものであり、サント・ラーゲ方式は1、3、5と割っていくものです。

画像4

上図は拾い物で恐縮ですが、数字を変えると何が起こるのかといえば、サント・ラーゲ方式ではドント方式よりも2段回目以降において大きな値で得票数を割るので、中小政党の当選する可能性が大きくなります。ただし、これでは中小政党を優遇しすぎるということで、1段階目に1.4で割り、以降を3、5と割っていく修正サント・ラーゲ方式もあります。ただし、ジョヴァンニ・サルトーリ(1924〜2017)が『比較政治学』において、選挙区の規模が比例の程度を規定する力は、票を議席に換算する方式よりも強いと定式化したように、どのような議席配分の方式を定めようとも、選挙区の規模(選挙区の有権者数と定数)を縮小していくと中小政党には不利になっていくということです。
 いずれにせよ、比例代表制によれば小選挙区制では勝てないような中小政党でも当選ラインを超えることはあり得ます。この点、極端に中小政党が分立する状況を防止するために阻止条項を定めることがあります。これは、一定の得票率(例えば5%など)を超えない政党は議会に議席を得られないとするものです。また、上述したように定数を狭める手段によっても阻止条項が設定されているのと同じ効果をもたらすとされます。
 様々な議席配分の手法がありますが、ミルは「数に比例した代表」が「公正」であると考え、これが「民主主義の第一の原則」であるべきだとしました。これに加え、ミルは全国の幅広い候補者から優れた代表を選ぶプロセスを通じて「高度の知性と人格をもつ指導者」が選ばれることを重視していました。また、法哲学者のハンス・ケルゼンは、多数代表制が選挙の段階で有権者の意思決定を迫るものであるとすれば、比例代表制は、有権者の意思の調整を議会の場で行うことを可能にするものと評価しました。他方で、カール・ポパー(1902〜1994)は、中小政党が乱立した場合、政権樹立のために連立する必要が出てくるが、これでは比例代表制の理念と矛盾すると指摘しました。ポパーはシュンペーターと同じく多数代表制による政権交代の可能性を最重要視したのです。

 さて、議席配分を終えて、そこに候補者をどう割り当てていくのかという問題もあります。これに関しては名簿式比例代表制というやり方があります(移譲式比例代表制は名簿を使わずに当選者を決める方式でした。)。これは政党が候補者を明記したリストを予め提出し、有権者はこれを見て投票するというものです。具体的には以下の4つの方式があり、上から下にいくにつれて有権者は政党名よりは候補者で選ぶことを求められますが、そのことによって有権者の情報コストも増えていくことになりますし、政党のあり方も変わってきます。
 第一に、厳正拘束名簿式は、政党が予め候補者の当選順序を定めたリストを提示するものです。有権者は政党名だけで投票し、選挙の結果得られた議席配分に基づいて、リストの上から当選者が決まります。衆議院選挙はこの方式で行われています。この場合、人物本位よりは政党本位の選挙になると考えられます。投票用紙には政党名を書くので、候補者がこまめに地元周りをするなどの必要性は低くなります。
 第二に、単純拘束名簿式は、政党が予め候補者の当選順序を定めているが、有権者は政党名か候補者の個人名のどちらかで投票することができ、その結果によっては当選順序が変わり得るものです。
 第三に、非拘束名簿式は、政党が予め候補者の当選順序を定めることなくリストを提示するもので、有権者は政党名か候補者の個人名のどちらかで投票します。議席配分自体は政党の得票率で決まりますが、当選するのはより多くの得票を集めた候補者ですので、厳正拘束名簿式と異なり、同じ党内の候補者間での競争が生まれ、丁寧な地元周りも必要になります。参院選のように全国1区になれば、全国的に知名度のあるタレントや、全国的な広がりを持つ圧力団体の支持を受けた人物が有利になります。つまり、政党本位より人物本位の選挙になってきます。参議院選挙は基本的にはこの方式ですが、2019年からは特定枠が導入されて、政党は優先的に当選する候補者のリストを予め提出できるようになっています。
 第四に、自由名簿式は、政党が予め定数分の候補者のリストを提示し、有権者は定数分だけ自由に候補者に投票することができるものです。
 名簿式比例代表制で問題となるのは、名簿を誰が作成するのかということです。比例代表制が世論を鏡のように反映する議会を目指すものであるのなら、政党本部が候補者を選べば地方の声が反映されないという問題が生じます。そうであれば、名簿の作成を地域ごとに行えばよいのでしょうか。衆議院選挙は比例区を地域別のブロックに分けてそれぞれで名簿を提示し、選挙を行う方式ですが、上述したように全国1区から選挙区を狭めていくと中小政党が当選しにくくなります。これを克服するドイツ方式では、得票数の集計は全国単位で行い、その結果に応じて政党に議席が配分されるが、各政党のなかでさらに各地方での得票率に応じて議席を配分し、地方の名簿で当選議員が決定されるという二段階方式が取られています。こうすると、地方の有権者についても議席配分を勝ち取るために選挙に行こうというインセンティブが生まれます。

 なお、現在は衆院選と参院選ともに小選挙区比例代表制並立制が採用されていますが、これはいわば小選挙区制と比例代表制の妥協案であり、明確にそうすべきという理由もなく、どちらかに統一すべきものと考えられます。

中選挙区制の問題点

 基本的な選挙方式は多数代表制と比例代表制ですが、日本には中選挙区制という選挙制度がありました。これは国外の選挙制度の研究者からみると異質なものです(下図)。

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そもそも中選挙区制という名前自体が日本製のもので、大選挙区制が都道府県を1選挙区とした選挙区であるとすれば、それをもう少し細分化したものが中選挙区制です。また、中選挙区制の定数は2以上ですが(定数1なら小選挙区制になる)、重要なのは有権者は1名しか記名できないという点です。これを日本では単記制と呼びますが、欧米にこのような分類は存在しません。定数=記名数が多数代表制と呼ばれるのに対して、中選挙区制は、日本独自の用語で少数代表制と呼ばれます。その仕組みをイメージにしたのが下図になります。

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小選挙区制をそのままにして定数を増やしただけですが、そのことによって第2、第3の議員が選出されています。中小政党の機会が確保されることから、中選挙区制が少数代表制と呼ばれる理由になります。しかし、それならば比例代表制を採用すればいいのではないか、ということになります。日本では少数代表制という言葉が政治学の用語となり、あたかもそれが至極当然の制度であるかのように存在していたのです。
 中選挙区制のそもそもの成立は1925年で、当時の連立与党の各党から当選者を出せるようにとの発想が基になっています。中選挙区制自体は1994年に廃止されましたが、実質的に中選挙区制が残っています。参院選において改選数が複数の選挙区がそれです。改選数1の選挙区は小選挙区制になる一方で、例えば改選数6で記名数は1の東京選挙区は事実上は中選挙区制であり、比例代表制を加えると一度の選挙に3種類の選挙制度を採用していることになります。

 美濃部達吉吉野作造はそれぞれ比例代表制と小選挙区制を提唱しており、そしてどちらも中選挙区制には反対でした。
 美濃部によれば、中選挙区制でやると選挙運動が政党ではなく候補者中心となって費用がかさむし買収などの不正も生じます。上図の例では分かりませんが、例えば定数2の中選挙区において同じ党から候補者が2名出馬することが考えられるわけですが、問題は単記制です。例えば、A党を支持するXさんにとってはA党から立候補しているPさんかQさんのどちらかを選ばなくてはならず、そうするともはやXさんにとっての判断材料はA党かどうかではなくPさんかQさんかという人物選択の問題になります。一方、PさんとQさんの立場からすると、自分に投票してもらうためにサービス合戦をせざるを得ません。実際のところ、自民党内に派閥が生まれたのはそのためで、それぞれの派閥が資金を供給して中選挙区にそれぞれの候補者を擁立し、その結果としてより多くの議員を擁する派閥が最終的に首相を選出するというサイクルがありました。ここでも自民党というよりは候補者個人あるいはその後ろ盾の派閥の選挙戦ということになりますし、地元への利益誘導という癒着関係つよいものになります。日本では中選挙区制が長かったため、政党本位よりは人物本位の考え方が根強いのです(比例区当選者より小選挙区当選者の方が重んじられ、重複立候補制により生まれるゾンビ議員という蔑称もその表れ)。しかし小選挙区制となれば、党内のそれぞれの派閥が1選挙区内にそれぞれの候補を擁立することはないので、派閥の必要性は低くなります。
 吉野は、複数定数にもかかわらず1名しか記名できない中選挙区制は西洋の先進諸国には例を見ないもので小党乱立などの問題が生じたとして、小選挙区制による2大政党制の樹立、そして議会の多数派が内閣をつくる責任内閣制を目指すべきと考えました。さらに、全国区ではない小選挙区においてでも優れた指導者を選ぶというプロセスは可能であり、上記のような問題のある中選挙区ではこれは実現しないと述べます。また、比例代表制が認められるべき唯一の例として、宗教や民族上のマイノリティーが多数派に対して先天的に固定化されており、どう政治的に努力しても「融通の途」が絶対にない場合を挙げました。

政治と選挙と政党と

 なぜ中選挙区制がもたらした人物本位の選挙はいけないのでしょうか。それは日本が議院内閣制をとっていることと関係しています。議院内閣制は、議会の多数派が与党となって首相を選び、法案を通過させ、国を運営していく統治の方法です。ここでは「機能する多数派」が存在しなければ国家運営は麻痺するとフリードリッヒは書いています。議会内に多数派を形成には政党が必要です。いうまでもなく政党は同じ意見をもった人々の集まりであるべきで、それは党議拘束によって担保されています。これは議員に対して法案採決などの際の投票行動を予め指示するものですが、これが厳格でなければ議院内閣制の想定する国家運営は十分に行えません。なぜなら、一見すると多数派を占めているように見えるA党の内部に様々な見解を持った議員や派閥が存在している状況では、法案可決の状況はその時々で変わってしまうからです。ちなみに、日本の場合は選挙時には立候補者は自らの好きなことを言えて、当選後には党議拘束を受けることになっています。そうなると、例えば、消費税増税を支持する政党から、「自分はそれに反対であり止めるのは自分しかいない」などと言って出馬して当選したものの、最終的には党議拘束を受けて増税法案が通過するといったことになります。有権者は政党ではなくその候補者に投票したのであって、有権者は嘘をつかれた気分になるでしょう。
 話をもとに戻すと、議院内閣制を実現するには、有権者にとって候補者が政党と同一視でき(政党の方針で判断できるので情報コストも最も低くなる)、完全な小選挙区制の実施をとおして、政党の側でもこの条件下で勝利するために一枚岩で団結していかなければなりません。候補者を地元の後援会や党派閥がバックアップするのではなく、党自体が組織として支援していくかたちです。その結果として議会で過半数を占めることが必要です。党議拘束も選挙運動の時から始まらなければならないはずです。
 さらに、日本は衆議院と参議院の二院制をとっていますが、議院内閣制の実現には両院のバランスも考える必要があります。もし、参議院が衆議院ほどの権限を持たずに、名目上のチェック機関でしかないのならば、政党はあまり参議院の議席にこだわる必要はないわけです。しかし実際には、法案可決に関していえば、衆議院を出席議員の過半数の賛成で通過した法案を参議院が否決した場合には、衆議院はより条件の厳しい出席議員の3分の2以上の賛成を得なければならないと憲法で規定されています。つまり参議院の権限は決して小さくないのです。とすれば、単純な発想によって両院でそれぞれ異なる機能を持たせるために異なる選挙制度をとるべきだなどとすれば(例えば、衆議院を小選挙区制に、参議院を比例代表制に一本化するなど)、慎重に制度設計しなければねじれ国会が生まれ、議院内閣制の実現が妨げられることになるでしょう。つまり、両院は異なる性質を持つべきだという感情論は理解できるとしても、両者を一体として考えなければ議院内閣制の理念からはズレてしまうのです。本書の著者は憲法改正により参議院の権限を縮小し(再度衆議院で過半数の賛成があれば法律は通過するなど)、明確に衆院の優越を保障すべきと考えておられます。

さいごに

 『日本の選挙』には、これまで述べてきたようなこと以外にも様々な論点が含まれていてとてもスリリングである一方で、政治の世界にあまり馴染みのない私にとってはさらに具体的な事例と結び付けて理解するために他書が必要だなと感じました。この<中公新書で学ぶ現代日本の政治>シリーズを続けることで、日本の政治に対する理解を深めていければと思う次第でございます。
 ここまで読んでいただきありがとうございました。

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