あいまいに、あかるい方へ

こんにちは、黒陽(こくよう)と申します。

タロット、霊視をメインウェポンに占いを主にさせていただいている者です。最近はお客様のオーラを視ることにハマっています。

今後、noteでは様々なことをやっていきたいと考えています。

日常の話、なんかこんなこと考えたって話、思い出の話、思い入れがある音楽とかの話、占い師の裏側トーク、なんか胡散臭いスピリチュアルトーク、目に見えない存在の話、占い企画など。

そういうことをただコンテンツとしてやるのでなく、「私」を表現するためにやってみたいと思います。なので、ここであえてすべてを語るということはやりません。

コンパクトでキャッチ―に自分をまとめてしまうよりも、日記のように、「自分」を少しずつ物語にした方が、面白いのではないかと思うからです。

できるかはわかりません。目標の一つです。頑張ってnote続ける。



とはいえ、それだけで今回のnoteを終えてしまうのも忍びないので、最近自分の人生観や占い師観にちょっと影響した思考の話をちょっと書きます。

タイトルの、「あいまいに、あかるい方へ」。

私はもとよりTwitterの民でして、決して短くはない時間をツイ廃として過ごしてきた者です。全く自慢できることではありませんね。

Twitterはあいまいな世界です。あいまいな情報が飛び交って、あいまいにみんなゾーニングしていて、そして腹の立つことがあったらあいまいに喧嘩を売りに行ったりする。

そしてその喧嘩をあいまいな基準でクソリプと呼び、みんながあいまいにマナーを意識する。


あいまいであるということは、厳格で科学的であることと同じぐらい大切なことだと思うんですね。そしてそれら二つには、どちらがより大切かという順位はつけられません。

あいまいであることと、厳格で科学的であるということは、車の両輪のようなものなのだと思います。

ただ、厳格で科学的であるということよりも、あいまいであることは意識されづらいように感じます。

だってあいまいだからね。あいまいに形なんかないからね。

じゃあ、あいまいってなんだよっていうと、答えがないということなのだと思います。あるいは、答えが選べるであったり、自分で答えを作り出していい、であったりするのだと思います。


まぁスピリチュアルの世界なんかあいまいそのものですからね。ただ、スピリチュアルもあいまいも、デタラメとは似て非なるものだと思います。デタラメだったら、私の占いで「なんでそんなに当たるの!?」って驚く人がそんないっぱい出てくるはずがないので。


もっと突っ込んだことを言うならば、私は、人間も動植物も、あいまいに生きて、あいまいに死ぬものなのだと思います。

ヒトが生きるという行為には、物理法則や栄養学、臓器のはたらきといった、厳格で科学的な裏付けが存在しています。死ぬにしても、外傷だとか、病気だとか、厳格で科学的な裏付けが存在しています。

それでも、なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか。それらは非常にあいまいです。なんなら科学的な理由なんかなくても余裕で生きられるし、どんなに生きる理由が強固に存在したとしても容赦なく死んでしまったりします。


それから、商品やサービスだってそうで

占いや霊能力に限らず、あらゆる商品やサービスが消費者にとって価値があるというのは、かなり根拠があいまいだったりします。

例えば、厳格で科学的な基準において、栄養が豊富で、安全で、見た目が美しく、おいしいという料理であったとしても、

それが消費者にとって「好ましい」か「好ましくない」かは、かなりあいまいに決まります。高級料亭のシェフ長のフルコースであったとしても、あいまいに嫌いな人はあいまいに嫌いです。

さらに人生というやつはもっとあいまいで、夢を必死こいて追いかけていた人が、叶ったとたんに抜け殻のようになってしまうということも実際よくあります。逆に、塞翁が馬と表現するべき出来事だって、いくらでも起こってきます。

そしてそれは、「何がじぶんにとっての正解なのか」という絶対的な答えは存在しない、という、ある種の人々にとっては非常に残酷な事実を表します。

とはいえ、私は、「だからあいまいな世界はクソだ」とか思うわけではありません。

寧ろ、人生の正解だとか幸せだとかいうやつは、あいまいであるからこそ、ひとつひとつ「なんかコレっぽいな」と思うものを探して、確かめていくしかないものなのだと思います。

結局、占い師に限らずあらゆる人にできることは、そのひとつひとつを手助けすることだけなのかもしれません。


大事なのは、厳格で科学的な世界にあいまいな基準を持ち込んではいけないし、あいまいな世界に厳格で科学的な基準を持ち込んではいけないということではないかなーと思います。

厳格で科学的な世界にあいまいな基準を持ち込むと、エセ科学とかエセ医療になってしまいますし

あいまいな世界に厳格で科学的な基準を持ち込むと、窮屈でいきぐるしくなってしまいます。


あいまいに、あかるい方へ。

なんか知らんけど、一歩ずつ、しあわせな方へ。

そしてそれを実現するための手段については、厳格に考えられる人でありたい。


そういう占い師でいられるように、努力していきたいと思います。

そしてあいまいにこのnoteを連載していければいいなと思います。

よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?