崇徳上皇のあまりに意外過ぎる行き先
全く別のことを調べていたら、思いもかけず崇徳上皇が保元の乱の後に向かった場所が分かってしまいました。
「史実」では讃岐国(香川県)に配流された後、後白河天皇と紆余曲折があって、崩御するまで爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿になり、後に天狗になったとされています。
また崩御後、崇徳上皇の棺から蓋を閉めているのにもかかわらず血が溢れてきたというような逸話も。
こういう派手な話があると、それは偽史を作ったよという作文工房のお知らせではあるのは理解できるのですが、ではどこでどういうことをやっていたのかということを推察・考察したこともありませんでした。
46歳で亡くなったというのも偽装死で、どこかに行かれたのだろうと思っていたくらいのものです。
それが、今回瓢箪から駒とでもいうような感じで分かりました。
今回書く内容はこの場限りであり、書籍などにすることはありません。
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