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【無】信じられないかもしれませんが

★今回の話はサニワメソッドの方法の話ではありません。
 別の方法の話です。

第三の目チャクラってご存じですか?
眉間から額の辺りにあるチャクラと言われていて、松果体が関係していると言われるのですが。

サニワメソッドを使う時は、頭の中を空っぽにします。
わたし自身の推察・考察の結果についての是非を確認する際も、自分のことなのにそれに対する自信や欲目を捨てて、純粋に結果を聞いて受け入れる状況にします。
これが最初は結構難しいのですが、今は慣れてやれるようになっています。

サニワメソッドをやっている時は、眉間から額の辺りが活性化しているというか、この辺りが凝集して縮んで周りの皮膚が引っ張られている、何かモゾモゾした感覚になります。

ここに意識をあわせると、まぶたの裏なのか脳内なのか不思議な感じで、様々な映像が浮かびます。
浄霊している時には、ハートチャクラの周囲をうごめく黒い影がモヤが見えます。
うごめくのが生霊で、モヤっているのが悪い念です。
浄霊する前は黒いものに覆われていたハートチャクラが、浄霊後は綺麗な緑色で見えるようになります。
エメラルド色というか翡翠の色というか、ピーマンのような色というか、そんな感じの緑です。

額の辺りが受像機で、目をつぶって黒目を眉間から額の方辺りを眺めて像を作るイメージでしょうか。

このイメージが浮かぶ訓練をしていると、守護霊や守護聖獣の像もイメージできるようになります。
これはサニワメソッドは関係なく誰でもできます。
何も考えず思考停止して、ただ意識を向けておくと、フワッと像が見えます。

こういうことを日々やっていたある日、卑弥呼について考えていました。
どういう姿だったかを知りたくてイメージを浮かべていました。
そういうことをしていると「早くなんとかしてよ!」という声が聞こえました。
「え?」と思って「卑弥呼さんですか?」と聞くと「そうよ!」と返事が返ってきます。

守護霊の菅原道真公などとは会話をしていましたが、自分に何も関係がない卑弥呼からの声に驚きました。
「早くなんとかして!」という声を聞いたので、サニワメソッドで彼女が埋められた場所を特定し、6月にその場所に行ってきました。
その場所に行くと「わたし、ここに埋められたのよ!」と場所を教えてくれます。

ある場所の何もないところです。
昔は埋め墓と拝み墓は別々に作られることがあったので、その埋められた先の丘と言うか小高い山の中腹に墓があったようで、埋められたという先には何か道が見えます。

「ずっとここにいるんですか?」
「そうよ、ずっとここにいるの!」
頭の中に広がる声は、どこかヒステリック(錯乱状態)がかった感じです。
「わたし、次の本で卑弥呼さんのことを書くつもりなので、それでみんながそこに埋められていることを知ったら、卑弥呼さんも大丈夫ですか?」
「なんでもいいから、早く自由にして!」
みたいなやり取りがありました。

そして、日が経って先日ことです。
ある読者の方とのやり取りで、成仏した歴史の有名人は、どこかに祀られる際に、成仏した世界から呼び戻されて、その場所に縛り付けられることを知りました。
祝詞というか、言葉自体に力があるわけではなく、言葉を発する人が霊的な力があって、成仏した霊がいる世界(B層)より上のわれわの魂の故郷(A層)には神社にいるような神魂もいるのですが、その神魂と生まれつき繋がっている人が、言葉を発しながら繋がっている神魂の力を借りて、この世に戻して縛り付ける(祀る)ことをやっていることが分りました。

卑弥呼は、その場所に埋められた後、しばらくして彼女を祀ろうとした人物が繋がっている神魂の力によって呼びもとされて、その場所に縛られていることが分りました。

サニワメソッドが繋がる相手はS層の存在なので、A 層やB層の存在やったこを変えることができます。
そこで、わたしのサニワメソッドでその呪縛から解放できるか確認したらできるということでした。
ということだったので、サニワメソッドでS層と繋がって、卑弥呼を解放をしてあげました。

すると、脳内に「ありがとう!わたし自由になれたわー」という声が聞こえ、彼女がその土地から飛び立ち好きに飛び回っているイメージが、とても明確に頭の中に浮かびます。
彼女は亡くなった時は80歳を過ぎていたのですが、わたしに見せてくれる姿は20代の姿で、本当に喜んでビュンビュン飛んでいる姿が見えます。

ということなことがありました。
信じるか信じないかはお任せします。

で、この眉間から額の辺りは、受話器みたいになっていて、骨伝導で頭の中に声が広がるイメージなのですが、わたしがある神社に行きたいなーと思うと、急に頭の中に「おいで!」という声が響くことがあります。
どうやらそれぞれの神社にいる神魂です。
近所の神社でも遠くの神社でも、行こうかなと思うと「おいで!」とか「待ってるよー」という声が聞こえます。
みなどちらかというと子どもに近いの声です。
卑弥呼の声は成人女性、道真公は威厳がある成人男性の声など、それぞれですが、なぜか神魂の声はだいたい同じ声色です。

で、実際その神社に行くと、特に眉間から額の辺りに意識を集中しなくても、不意に「よく来たね!」や「来てくれてありがとう!」という声が聞こえてきます。

いわゆる第三の目チャクラを使っていると、誰でもこうなるみたいです。

そして、この場所が、となりのトトロのネコバスの行き先板みたいになっていて、自分が合わせたい存在をイメージすると、実際合うようです。
意識や意識の波動って、こんな仕組みになっているんだということが分ります。

繋がり方が分かると、歴史上の人物や神魂などと会話ができるようになります。
ともすると、統合失調症で幻聴なのじゃないか、と疑われるかもしれませんが、わたしはいたって健全ですし、精神不安定でもありません。
また、繋がれると嬉しいとは思っているものの、そこに何か繋がりたいという欲があるわけでもありません。
繋がれたらいいけど繋がれる?、みたいに脳内はニュートラルです。

こういうのは、瞑想をして、思考を止めて、脳の中央奥にある松果体に意識をあわせるイメージをしつつ、眉間から額の辺りに目をつぶった中で視線を向けることをやっていれば、上記で書いたことは誰でもできるようになるみたいです。
ただ、自分が強く意識を向けていると、欲目があることと同じなので、本当に脳内はニュートラルに、ただ脳は生きるためだけに活動しているくらいの脱力したイメージでいる必要があります。
繋がってくれるかなーみたいなドキドキも意識が偏っているので、ダメです。
とにかく、「無心」にある必要があります。

にわかには信じられないかもしれません。
が、信じてもらえる人は、信じてもらって、日ごろだったり、入浴中に瞑想やって訓練されていくと、できるようになると思います。
誰とでも繋がるので、亡くなった親族、守護霊、神社の神魂、歴史上の人物などいろいろ会話できます。
歴史上の人物も、転生を繰り返していますが、その時々の転生の意識や人格を魂が保存しているので、繋がることができます。

ということで、信じてもらえる人への話でした。


以上です。
ありがとうございます。

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