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無料公開 歴史関連記事

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國體ワンワールド史観に基づく歴史関連記事です。
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#歴史

【無】「ナカ」と「ナガ」、「バル」の地名や名前

那珂川という川が福岡県や茨城県・栃木県にあり、那賀川という川が徳島県や伊豆半島の南西にあります。 他にも那珂川や那賀川という名前の川が日本各地にあるかもしれません。 同じ様な川の名前がなぜ複数個所にあるのか疑問でした。 そこでサニワしてみたら、少なくとも上記4つの川には共通点があることが分かりました。 この4つの川の「ナカ」はウバイドの言葉で、「ナ」「カ」から構成され、「ナ」は「みな」、「カ」は「楽しい」という意味で、ウバイドや倭人などのイシヤたちが集住して生活した場所を指

【無】クリスマスの起源

本日12月24日なので、歴史好きの中ではいろいろ言われるクリスマスの起源について、探ってみました。 クリスマスとは何かを一言で言うと「ローマ教会がパクッた冬至の祭り」です。 國體は非関与で、ローマ教会がクリスマスを開発したのは189年です。 ローマ領内では一定数ユダヤ教徒がいたので、ローマ教会はローマ領の周辺や域外に教線拡大を図ります。 欧州には、太陽信仰ミトラ教を信奉するタカス騎馬民、太陽信仰を行なっているケルト人がいました。 太陽信仰の人々にとって、冬至は太陽が最

【無】実朝暗殺のあたりのことについて

源実朝が1219年に暗殺されました。 1221年の承久の乱の二年前です。 自著『 真相追究 公武政略と武士 』で書いたように、源実朝は頼朝の実子ではありませんし、そもそもウバイドでもなくタカスです。 源頼家も頼朝の実子ではありませんが、頼家は重要なウバイドの人物で裏に回りましたが、実朝を殺害する公暁は頼家の実子ではありません。 実朝の暗殺は國體としては想定外でしたが、そもそも鎌倉幕府の将軍はもはや誰でもよかったので、國體政略の進行自体に大きな影響は与えていません。 「史

【無】鹿島昇、鬼塚英昭、高橋五郎

ちょっとここらで閑話休題を・・・ おかげさまで「(前編)イシヤとタカスと人類のこれから」は多くの方が購読してくださっています。 わたしのような無名の者の言説を受容してくださる方が、こうも多くいてくださることが嬉しくてたまりません。 「イシヤ」の直感や感性をお持ちの方々と、まだネットを通しての御縁ですが、こうして御縁を結べていることを光栄に思います。 ありがとうございます。 さて。 落合莞爾氏が「田布施共産党」と言って目の敵にしているのが、鹿島昇と鬼塚英昭です。 今回この

【無】歴史の推察・考察をする時のコツ

歴史の推察や考察をやる時、わたしが何を前提に置きながら、そして、無意識に脳内で何をやっているか書いてみたいと思います。 わたしの推察・考察の前提は以下です。 < 史観における前提 > ・ワンワールド國體と各地國體が全ての勢力に優越する  (対抗勢力は存在しない。唯一は我々の欲の集合体が敵。) ・ウバイド國體があるようにタカス國體があり、協調している ・ウバイドは無欲、タカスも一部似た性質がいる ・政略が動く基本はファンド ・企画はウバイド、実行はタカスが基本 < わたし

【無】氣比大社の主祭神の正体

氣比大社(敦賀)の主祭神であるイザサワケが誰であるか教えて欲しい、というコメントをYouTubeでもらいました。 何も知らなかったのですが、サニワメソッドで探ってみました。 今回はその結果を共有したいと思います。 イザサワケは実在した人物で、それは安寧天皇でした。 自著『 真相追究 蘇我氏と古代日本 』で明かしていますが、安寧天皇がいたのは会津でした。 記紀では大和国にいたことになっていますが、彼は一度も大和国足を踏み入れたことはありません。 では、なぜ会津にいた安寧天

【無】木曽義高について

毎度有料記事だと気が引けるので、無料でも他では手に入らない情報を発信したいと思います。 ただし、例によってサニワメソッドを使っています。 これを胡散臭いと思う方は、読まれないことをオススメします。 さて、木曽義高は木曽義仲の実の息子です。 実のと付けるのは、武家は様々なところで血統潜入があるからです。 自著『 真相追究 公武政略と武士 』で明かしましたが、木曽義仲は父とされる木曽義賢の実子ではありません。 別から入れられています。 義賢はタカスで、義仲はウバイドです。

【無】國體側が國體側に殺される場合

最初聞いた時、にわかに信じられなかったのが、伊藤博文が玄洋社に殺されたという件でした。 伊藤博文は國體重鎮であり、玄洋社も國體結社です。 なぜ國體組織が國體重鎮を殺してしまうのだろうと思いました。 伊藤博文は周防国の農民の子して生まれたとされていますが、彼は高貴な血統から極秘に入れられたと聞いていました。 ただ、高貴と言っても皇室からではない、というのはサニワメソッドで確認しました。 閑院流から入ったようです。 伊藤博文が明治政府で元勲に上り詰める前は、彼の主な役割は木