男性としての美学が要求される時代になる

これを読んで,率直にそう感じた。
昔は社会も厳しかった分、曖昧かつ適当に回っていたので男性がとか女性がといった悩みは事実上存在しても無視されていたし,さして話題にならなかった。

事実SNSでは女性の方がいいね資本には恵まれてるし、男性が男性である意味はほとんどない

さして言えば人気のなさを補填するために高学歴が求められ、(そのために余程の天才でもない限り教育費の投資が必要)
単純に夏になれば基礎代謝が高いので暑くて汗をかくし、カロリー消費量も高い。


メンズコーチジョージ氏が言っているようにさらには使い捨ての存在ですらある。
村上龍氏もなんかそんなようなことを言っていた気がする。しかし、価値がないからこそ何かになれる、と言ったような反論が置かれてきた。

この先に男として生きることそのものがARTになるのではないかという再定義です。
リンク先の記事の筆者は男性の特権は知的好奇心と説く。 


知的好奇心というのは果たして本当に必要なのかと疑問が湧く。突飛な発想というのは別に不要普及であり,あんまりいらないものなのではないかと私は思うわけです。
顔出しYouTubeしなくても大西琢磨にならなくても無敵の人にならなくても生きていけます。
しかし、高学歴を目指して勉強して成り上がってあとはお小遣い生活できたらいい方というのはあまりにも悲しい。
無論私も男性の待遇改善は訴えるべきとは思うけど、そこにとどまっても女性の下位互換になるわけです。下位互換として再定義してくれるならいいんだけどね。
何かしら女性ではできないことをするべきなのですが、フェミニストに怒られてしまうんですよね、それをすると。どうしたらいいのやら

旧来の男の美学というのは
オナ禁してる俺カッケー
戦争行ってる俺カッケー
休日出勤してる俺カッケー
だったのが終わって、コスパを求めれば断然女性の方がよく、男性は女性の下位カテゴリ(事実この認識に改めるだけで男女論の8割が解決すると考えられる)
という認識に変えればいいのではないかと思う

男として生きる美学を再定義しないとならない。
ARTの定義が何かはよくわからないが、もう力仕事や突飛な発想やイノベーション、革新的な思考への美学への追求が求められないと悟るなら、男として生きることはARTの追求でしかなくなるはずだ。

私のようにそれができない限り、女の子になりたいは普遍的な欲求であると思うし、その方がコスパ良く生きられるのも事実である。

基本的に力仕事をひたすらするかサラリーマンはOL、大学生や高校生はJKの代替品か下位互換に成り下がってしまうのが現状かのように思う。

徹底的に甘やかされた時代。そのことによって割を食うのを覚悟ならARTの方向性に人生の舵を取るべきだ。

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