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当たり前は当たり前じゃないということ

※子供たちに伝えたいことを書いています

スカートを履くのは女の子だけ?それが本当に当たり前なんだろうか?今回は「当たり前は当たり前じゃないことに気づいて欲しい」というお話をします。

お母さんがある大学の校内を歩いていたら、スクーター乗ってる大学生のお兄さんが虫取り網を背中にさして通り過ぎていったの。

お母さんはちょっと驚いた。大人で虫取り網を持ってるのに違和感を感じたのね。だけどもよーく考えてみたら、大学で虫の研究をする時は虫を捕まえなきゃいけない。虫取り網を使うしかないよね。大人だって虫取り網を使うんだ。香川照之だってカマキリ姿で虫取り網振り回してるもの。これはとても普通のことだった。

その時、「私に虫取り網を持つのは子供という偏見があったということなのかな?」とお母さんは考えてしまった。

偏見っていうのは、偏った見方のこと。沢山の方向から物を見ないで自分の考え方だけでその物を見るってこと。

結果としては、驚いたところまでは偏見じゃないと考えたよ。驚くのは仕方のないことだから。お母さんの生活環境では虫取りをするのはキノくんやオトちゃんのような子供たちだったから、虫取り網は子供が持つもの、という当たり前があった。だから大人が持っていると驚いた。

偏見かどうかはこの後が問題なんだ。今回のように「大人が持っているのもおかしくないよ」と気がつけたらいい。けれど、「あのお兄さん子供でもないのに虫取り網持って、頭おかしいんじゃないの?」って考えたら偏見だ。自分の知っている小さな世界でしか物を見ていない、一方的な見方。

お母さんはね、偏見はこの世の害だと思ってる。偏見は自分と違う物を認めないからね。キノくんやオトちゃんには、異なる物を弾き飛ばすような、世界の小さな人間にはなってほしくないと思ってる。

人は一人一人違っている。自分には「えー!?」って驚くようなあり得ないことを他の人が一生懸命やっていたとしても、それはその人の大切なことだと受け入れる。それができると、自分も楽しいし、人も嬉しい。自分にはなかった世界が開けるし、受け入れてもらえる喜びが人との繋がりを強くする。

時には偏見に気がつかない時がある。自分にとってあまりにも当たり前のことだから、気がつかない時がある。だから今までの当たり前が当たり前じゃなかったんだと思えたら、それは自分が成長できたということだし、とても素敵な経験だよ。

当たり前を当たり前と思わないこと。

このことを心の隅に留めておいてくれたら嬉しいな。

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