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「安克昌の臨床作法」(副題 安克昌を自由に語る)が出版されました。

映画「心の傷を癒すということ」製作委員会の安です。
この度、「安克昌の臨床作法―安克昌を自由に語る」
安克昌の臨床作法|日本評論社 (nippyo.co.jp) が出版されましたので、ご報告させて頂きます。
 
本作「心の傷を癒すということ」の主人公「安和隆」のモデルである「安克昌」が、どんな医師だったのか。何を語り、考え、やろうとしていたのか。安克昌本人と近くで接してきた医師仲間の方たちを中心に、色んな角度から書き、語り合う内容となっています。
 
また、独立のPARTとして、映画・ドラマ関係では柄本佑さんのインタビュー「主人公、安和隆を演じて」、総合演出の安達もじりさんの書き下ろしエッセイ「プロダクションノート」を掲載しております。(私も「シーンを振り返って」と「観客からのメッセージ」を寄稿させて頂いております。)
 
賜ったご玉稿は、兄・克昌への「真摯な思いと熱量」で溢れていました。
ご執筆を頂いた全ての方へ、遺族として心よりの感謝を申し上げます。
 
さて、「安克昌の臨床作法」では、著作「心の傷を癒すということ」では触れられていない「多重人格性障害」(現在は「解離性同一性障害」と呼ばれる)について、克昌本人の論文やエッセイ、当時共に治療に当たった方々による対談など多くのページが割かれています。私個人としては、この「多重人格性障害」に関する一連の記述に大きく心を動かされています。克昌本人は「多重人格性障害」について、次のように述べています。
 
「多重人格性障害(MPD)(現在は『解離性同一性障害』(DID)と呼ばれる)に一章が割かれるのは、MPDが児童虐待と密接に結び付いた病態だからである。MPDの病因はいまだに解明されていないが、大多数のMPD患者で小児期の重大な心的外傷(特に性的/身体的虐待)が報告されている。児童虐待を生き延びた彼らは成人になってからも虐待体験を生き続ける。その意味でMPDの臨床は児童虐待の臨床とも言えるだろう。
MPDの報告は北米に多く、日本にはごく少ない。だが、北米でも多くの症例が『発見』されるようになったのは1980年代以降であり、それは児童虐待の歴史とパラレルであった。日本でも児童虐待がけっして少なくないことがわかってきた。MPDもこれから見出されてくるのではないか。」(「児童虐待と多重人格性障害」初出:「児童虐待(臨床編)」1998年 「安克昌の臨床作法」P162)
 
そして、克昌がその晩年に「多重人格性障害」の臨床に没頭し、試行錯誤し、苦闘し、苦悩する姿が、当時の同僚の方々のご寄稿や対談において、かなり具体的なエピソードを交えて描かれ、語られています。
 
率直なところ、肉親である私の立場としては、身も心も疲弊し切っていたに違いない、当時の兄の表情・声・しぐさが、自然に思い出されてきて、「あの時、あれだけ疲れていたのは、こんなことがあったからなのか・・・」と、「臨床作法」を読みながら、何度も切ない気持ちになりました。
 
ただ、同時に、そのような「肉親の情」「亡兄への追憶」で立ち止まってはおられないような、極めて大切なことを世の中に問いかけていると、兄の文章やご寄稿・対談の中から、私は感じました。
 
その「問いかけ」を、自分自身の言葉として今はまだ十分に表現できずにいるのですが、今後、この「臨床作法」の記述をご紹介することにより、この場で少しずつでもお伝えすることができればと思っています。

もし、ご機会がありましたら、本書をご一読頂けましたら、幸いです。宜しくお願い申し上げます。

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