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弟が語る原作と映画

こんにちは。映画「心の傷を癒すということ」製作委員会の安成洋です。

本作の主人公「安和隆」は故安克昌がモデルとなっています。克昌の弟である私から、本作の原案となった安克昌著「心の傷を癒すということ」を紹介いたします。

避難所回診シーン

本作の原案となった安克昌著「心の傷を癒すということ」について、映画で描かれていることは、ほぼ実話です。「日報新聞の谷村さん」のモデルになっているのは、元産経新聞記者の河村直哉さん。(今年の6月で論説委員を最後に退職)連載の題名は「被災地からのカルテ」でした。

被災間もない大学病院へ、執筆の依頼をされた河村さんに対し、迷った末に兄は執筆を依頼することになります。その経緯は、映画でも描かれている通りです。


少し付言するなら、元々、兄は所謂「文学少年」でした。「自分の思いや考えを文章で表現する」ということに、人並み以上の強い意欲を持っていました。幼少の頃より、「本の虫」と呼ばれるほど、暇があれば本を読んでいました。高校生になり、進路選定になった時に、「本当に行きたいのは文学部」と私に語っていたこともあります。それが父の強い「すすめ」というか「プレッシャー」もあって、また本人自身も生活者として自立をするためには医師という選択肢に納得して医学部へ進学します。


進学先の神戸大学で生涯の師となる中井久夫先生と出会います。中井久夫先生は、映画の中では「永野良夫」として近藤正臣さんが演じられています。
中井久夫先生は、精神科医としてだけではなく文筆家としても多くの名著があります。兄は、中井先生と出会い、「自分がこれから進むべき道」を明確にイメージすることができるようになったのではないか。そう思うのです。中井先生のことを語るときの兄は、「中井先生はすごいねんで」と言いながら、とても嬉しそうでした。兄としては、中井先生という理想像が目の前に現れて、医師としての経験と研鑽を積むことに没頭していったのだと思っています。そして阪神淡路大震災が起こりました。


このような、幼少時代からの「文章を書くことに」についての、並々ならぬ意欲は、医師になってからもずっと持続していたのだろうと思っています。おそらくそれは兄の心の中では「医師の立場として、文章を書くこと」という形で持続していたのだと思います。被災地の現場の医師として、目の回るような忙しさの中で、河村さんからの依頼をお引き受けしたのは、そのような兄自身の内面の動機があったのではと考えています。


さて、産経新聞に連載された「被災地からのカルテ」をまとめ、そこにオリジナルの書き下ろしの文章を加えて、一冊の本として「心の傷を癒すということ」が作品社より出版されます。それが第18回の「サントリー学芸賞」を頂戴するという栄誉を賜ることとなります。そこは映画の中でも描かれている通りです。


その3年後に兄が亡くなりました。また震災の記憶が薄れて行くと共に、この本も重版されることは無くなり、書店で購入することができなくなりました。そのような状態がずっと続いていた時に、2011年3月11日、東日本大震災が起こります。


東日本大震災が起こって間もなくして、主に医療関係者の間で、「もう一度『心の傷を癒すということ』を読みたい」という声が高まります。ただ、絶版になっていて本は購入することが出来ず、古本のオークションサイトで数万円という値段で取引されていました。その現状に「これはいけない」と、兄の医師仲間だった人たちが出版元である作品社に働きかけをして頂いことにより、再度、出版されることとなります。


連載から15年、兄が亡くなって11年を経て、「増補改訂版 心の傷を癒すということ」はこのような経緯で出版されました。

増補改訂版 心の傷を癒すということ

2011年に出版された増補改訂版では、恩師である中井久夫先生の安克昌の葬儀での弔辞、医師仲間で増補改訂版の出版の労を取られた精神科医の宮地尚子先生(現一橋大学大学院教授)、田中究先生(現兵庫県立ひょうごこころの医療センター院長)、産経新聞の河村直哉さんなど故人にゆかりの人たちのの文章が、「増補第二部『安克昌と本書に寄せて』」という新たな章を設ける形で、追加されました。因みに宮地先生と田中先生には、本作ドラマ・映画の「医療監修」という形で、多大なご協力を頂いています。

さて、「増補改訂版」を手に取られたことがきっかけで、「ぜひとも番組にしたい」と考えて、最初に動き始めた方が、当時NHK大阪のプロデューサーの京田光広(現NHKエンタープライズ)さんでした。東日本大震災の直後に、最初の番組の企画を作成されていますので、既に10年前のお話になります。彼の熱意と奔走が無ければ、この映画は生まれていません。いわば、本作の「発起人」にあたる存在です。

当初はドキュメンタリーとして番組企画を書き上げたものの、京田さんとしては「安克昌という人物の大きさは、一つの番組では収まりきらない」という思いから、ドキュメンタリーとしての番組制作を実現に踏み切ることはできなかったそうです。そして「なんとか番組にしたい」という京田さんの想いは、本作の総合演出(監督)である安達もじりさんの登場によって、「ドラマ化」という形で大きく実現に向けて動き始めます。その経緯についてはこちらの「新増補版」に、京田さんご自身が寄稿されていますので、是非ともご一読頂きたいのですが、安達もじりさんも京田さんと同じく「発起人」にあたる存在です。


京田さんと安達さんのお二人と初めてお会いしたのは、2018年の冬でした。「安克昌さんをドラマにしたい」という二人のお話をお伺いしながら、このドラマ化にお二人が寄せる真摯な思いや熱意は、「純粋なものだ。お任せしてみたい」と私は直感しました。

これはまだお二人にもお話をしたことは無いのですが、その時、安達もじりさんがお話をするときの眼差しや話し方が、優しく話をするときの生前の次兄と重なって見えました。「とても兄貴によく似た雰囲気を持つ人だなあ。不思議な縁だ・・・」そう感じながら、お二人の前にいました。そして私はこうお伝えしました。「『心の傷を癒すということ』という兄の著作が、ドラマ化によって一人でも多くの人たちに読んで頂けることにつながるなら、全面的に遺族としてご協力をさせて頂きます。もう20年以上も前の著作ですが、遺族のひいき目を差し引いても、今も読み続けられる価値のある作品です」


ドラマ・映画はこのような経緯で立ち上がりました。

そして「兄の本をひとりでも多くの人に読んでもらいたい」という私の強い想いをくみ取って頂いた京田さんや宮地先生をはじめとした方々の働きかけにより、2019年暮れ、阪神淡路大震災25年の節目に、「新増補版」という形で刊行されることとなります。2011年の「増補改訂版」に、「神戸・淡路大震災から二十五年を経て」という新たな1章を加える形で「新増補版」が出来上がりました。この新たな1章に、亡兄の中学生時代からの親友で、精神科医の名越康文さん、前述の京田光広さんにご寄稿を頂いています。そして私も寄稿をさせて頂いています。

私は「二人の兄と二つの大震災」という文章を寄稿させて頂きました。少しこのことについてお話をさせて下さい。

映画では森山直太朗さんに演じて頂いた、長兄の安俊弘は、次兄と同じ病で、2016年6月に他界しました。映画でも描かれている通り、長兄は東京大学で原子力工学を学んだあと、渡米し米国のカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を取っていました。3.11の福島第一原発の事故以降、頻繁に日本に帰国し、原発事故のこと、今後の原子力の在り方などについて、多くの提言・発言を行っていました。

その書かれたものを、長兄の没後、何度も読み返してみたのですが、大変な覚悟と緊張感が今も伝わってきます。

長兄の胸の中にはいつも「弟の克昌が阪神淡路大震災のときにあれだけ頑張ったのだから、自分も専門家の良心をかけて、妥協無くやり通さなければならない」という思いがずっとあったのだろうと私は確信しています。そのような長兄と次兄の「こころのつながり」を、長兄の生前の発言を引用しながら、書かせて頂きました。

長くなりましたが、最後に・・・
安克昌は「文章を書くことによって、思いや考えを伝える。表現する」ことについて、並々ならぬ熱意があり、そして努力を惜しまぬ人でした。阪神淡路大震災に自らが被災し、同時に医療従事者として奔走する中で与えられた「新聞連載」という機会に、「何とか被災地のことを伝えたい」と無我夢中で執筆に取り組んでいたと思います。そして、その執筆活動を通じて、多くのことを感じ学び取り、「次に自分がすべきこと・したいこと」が何か、鮮明にイメージできていたのではないか、私はそう思っています。新聞連載終了後から他界するまでの数年間という短い期間に執筆されたいくつかの文章にそれを感じ取ることができます。こちらも「新増補版」に掲載されています。
著作「心の傷を癒すということ」は、安克昌本人が医師としてどのように思い、考え、行動したかを自らの言葉で語っています。映画をご覧になった方の中で、「もう少しこの人物の声に耳を傾けてみよう」という関心を持たれた方は、是非ともこの本を手に取って頂ければと願っています。


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