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Dearly Beloved

ご卒業おめでとうございます。
そんな言葉が行き交う季節となりました。
「卒業式までは泣かない」と言い続け、ついには、卒業式に自分がいないなんてオチは、一晩考えても考えつくものではありません。

私は子供が苦手でした。ちょう14のときにいじめにあった経験が、その年頃の子を見るとフラッシュバックしました。
ただ、恐い、その一言に尽きました。

2021年の春に転機が訪れます。
「次は中一の担任ね」と私に告げられた言葉が中を舞います。
拒否権などない面談で、運命が大きく変わり始めました。

まずは形から担任をはじめました。
心は追いつかないまま、使命感だけが私を突き動かしました。
「学級崩壊しない」が一学期のテーマでした。
そんな目標にもならない目標だったのに、君たちは大きく成長し、私に夢を見せてくれました。
二学期が始まる頃には愛おしく思いました。
できるだけ毎日し続けた一人一人との面談も、二周目、三周目と回をおうごとに輝きが見えてきました。
サプライズが下手くそで、いつも叱っていましたね。
君たちの好意だとわかっていても、あえて引っ掛からなかったのは、人を喜ばせることは難しいのだと知ってほしかったから。それと、気恥ずかしさもありました。一年生の終業式なのに、みんなで別れを惜しんで、涙を流したのは何よりの思い出です。
そこには愛がありました。美しいと思いました。
みんなのことが大好きになりました。

初めてのクラス替えです。二年生になりました。
後輩という未知の存在に悩まされる君たちが、少しずつ大人になっていくのを感じました。
体育祭でダンスを教えたり、先輩たちにまぎれて運営してみたり、日記越しに君たちの世界が広がっていくのを嬉しくもあり、寂しくも思いました。

十四歳という思春期真っ只中の君たちの心は、いつも破天荒で、喜怒哀楽がハッキリしていて、やっぱり子供だなと感じました。
その中でも、人に決められたことに反発したりすることが増えて、言葉にならない気持ちの中を生きているのだと思っていました。

クラスに一人いない寂しさ、担任としての不甲斐なさ、自分の至らなさを痛感する日々でした。
「学校に行きたくない」とポロポロと涙を溢した一人の女の子がいました。
理由は言葉にならないと続けました。
理屈や理論ではないのだと思いました。
だから、ただ待つことにしました。
32人の居場所がクラスにあるように、63人の居場所が学年にあるように努めました。
それは何をするではなく、思いの問題だと思っています。ただ、愛する。それだけのことです。

思いを集め続けた文化祭も、思いを合わせて続けた合唱コンも、そのすべてが一人ひとりの成長と共にありました。そして、少しずつ他の人を思いやることの難しさを知る過程にありました。
不器用ながらも、愛を表現し続けてくれる君たちに、私の心は絆されていました。

そして、迎えた三年目の春。いつもの顔ぶれで、肩を並べられるということが奇跡だと知るのです。
毎朝6時過ぎには教室に着き、全員が無事に登校できるように祈りました。ホームルームに全員が揃っていることに感謝しました。
ただそこにいてくれることだけで有難いと感じました。

最後の一年、夢を語り、理想を描き、希望に胸を膨らませながら高校生になっていってほしい。そこまでが私の仕事だと思っていました。
しかし、慣れるというのは功罪の両面を抱えているものです。なんとなく一年の見通しがつき、変わり映えのしない日々が続くことに、エネルギーを燃やすことは難しいようです。
安定感と言えば聞こえはいいかもしれませんが、現状維持即脱落です。慣性の法則に従い始めると、収穫逓減が始まるのです。

水は高きから低きに流れる。人も同じように、平坦な道を歩き始めると高低差がある道を苦とするようになります。
理想を持って生きるというのはそれだけ難しいことだと悟りました。
現実と理想の間で葛藤が生まれるのは、現実のなかに埋没した方が楽だからです。理想を実現しようと努力することは苦しいのです。
だから夢を掴む人は少ないのだと思います。

されど、君たちはまだ十五才。
可能性に満ちた未来への途上。
これからいくらでも変わることができる。
私は人が持つ可能性を信じたい。

心に思い描くことができることは、なんだって実現することができる。
そう信じて、努力することができるかが問題なだけ。

焦ってはいけない。時間に耐えることが大切だ。
現実はすぐには変わらない。だけど、あなたの心はすぐにでも変えることができる。そう願うことができるのなら。心の中の念いこそ、すべての出発点なんだ。

ありがとう。私の宝物たちよ。
「青は藍より出でて藍より青し」と言うように、どこまでも大きく羽ばたいていってほしい。

ありがとう。私の愛する人たちよ。
常なるものは何もなく、いつも今の中に奇跡を見出せる人こそ、本当の幸福の中を生きている。

ありがとう。
潮の満ち欠けがあるように、人生にも満ち欠けがある。足跡が波にさらわれたとき、その道中を共にした仲間だけが旅の証となるだろう。

ありがとう。
悠久の昔より、人類を育むために滔々と流れ続ける慈悲は、気付いても、気がつかなくてもそこにある。
誰かが見てくれているという、その眼差しを伝える一人でありたい。

生まれてきたことに意味があり、その理由を果たすために人生があることを伝えていきたい。
その一端でも、触れ合った時間の中で見せることができていたら、本望です。

私に夢を見せてくれて、ありがとう。

The sky is the limit, because our GOD is limitless.

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