比べているのは誰のため
私は、現在妊娠5ヶ月の妊婦だ。
先日母とLINEをしていて、義妹が妊娠した知らせを受けた。
弟夫婦には娘が一人いて、我が家の息子と同級生である。
義妹の出産は私と1ヶ月半遅いくらいの時期であるとのこと。
つまり、第一子第二子ともに、同級生ということになる。
その知らせを受けたときに芽生えた感情を、記事にしてみようと思う。
喜びと同時に生まれた“まじか”という気持ち
私は3人きょうだいで、弟が2人いる。
いとこは3人で、父の妹の子だ。
いとこたちとはとても仲が良くて、いとこに会えるお盆とお正月が毎年とても楽しみだった。
我が家の2番目といとこの一番上が同級生で、私との年の差も2歳だったこともあり、一緒に遊んでいて本当に楽しかった。
私の子供と弟の子供はいとこ同士になるわけだけど、自分の経験から、弟の子と自分の子が同級生っていいなと思っていた。だから第一子だけでなく第二子まで同級生というのは、純粋に嬉しかった。
でも、同時になんだか、ドキッとした。
焦りのような緊張のような。
”まじか”というのがまさにぴったりな感じの気持ち。
この気持に蓋をしてしまうと、ずーっとモヤモヤを引きずりそうだったから、蓋をせず、中身をきちんと確認しておこうと思った。
人には到底お見せできないような情けない気持ちしか出てこないだろうということだけはわかっていた。
人間誰しも”きれいな気持ちしか持ち合わせていない自分”でいたいのではないだろうか。
だから、自分にそんな低俗な気持ちがあるだなんて、できれば気付きたくない。だから本当は蓋をして、「また同級生嬉しい」だけで済ませればよかった。
でも、よくわからないモヤモヤのせいで義妹妊娠に対する喜びが霞むのは嫌だったから、だから気持ちを深堀りしてみた。
幸い母とLINE中なのだ。あまりよくない気持ちが出てきたとしても、きっと母がフォローしてくれるだろうと期待して。
そこに隠れていたのは自信のなさだった
まず母に送ったLINEの一行目は
”少しの差でうちのが早いっていうのがちょっと不安だなぁ”
というものだった。
弟の娘は4月生まれ。私の息子は1月生まれ。
未就学児の9ヶ月差は、本当に大きい。
新入社員と入社3年目の先輩社員くらい差がある。
うちの息子は、まったく平均の範囲内ではあるが、どちらかというと言葉が少し遅い方だった。
3歳2ヶ月になった今、オムツはまだとれていない。
おしっこは完璧だけど、うんちをトイレですることがまだ難しい。今からうんちが出ますということは教えてくれるけど、トイレでは踏ん張りにくいみたいで、必ずトイレに行けるわけではない。だから、まだ完全にオムツを外せずにいる。
食事も、まだ食べさせてあげることの方が多い。
スプーンとフォークはきちんと使えるし、保育園ではちゃんと食べてるとのこと。だから、家では甘えたくて食べさせてもらいたがる。甘えたいなら甘やかしたいので、それは別にいいのだが、箸なんて当分先の話になると思う。
こういうところから、うちの息子は全体的に少しゆっくりタイプなんだろうと思っている。
一方で弟の娘は話すのも割と早くて、オムツはもうとれている。
箸にも挑戦していた。
弟の娘は逆に、周りと比べると少し早いタイプなんだろうなと思っている。
このように二人の成長に差があっても、9ヶ月も離れていることで私は自分を責めずに済んだ。
そう、私は、自分の育児に心底自信がない。
息子のペースで周りより少し遅い分には、全然構わない。
気が向いたとき喋ればいいと思っていたし、トイレでのうんちも箸での食事も、絶対そのうちできるようになるから、急かしたりしたことはないし、今後その予定もない。
でも、もし私の接し方や育て方が悪いせいで色々遅いとしたら・・・。
それは、非常に申し訳ない。し、その可能性だって否定はできない。
私は小さい子との遊び方とか全然わからないし、絵もかけない(昔からとにかく苦手)。
息子はおうちにいても退屈してるんじゃないかとすら思っている。
息子が一生懸命話している言葉にもまだ言い間違いとか日本語になってない言葉とかもあるから読み取りきれなくて、それを必死に解読することに疲れてしまうし、そういうところから、自分は子育てに向いてないなぁと思うから、尚更だ。
向いていないならもっと努力すればよかったのだが、それは振り返って思うこと。
各場面ごとに、随時必死に向き合ってきた。
でも振り返ったときに、あの時期にこういうことをしてあげられていたら、もしかしたらもっとこうなっていたんじゃないか?とか考えてしまうのだ。
でももう過ぎたことだから答え合わせはできないし、自分のせいで息子の成長を促せてあげれていないだなんて言われたら、事実でも凹む。
だから、”9ヶ月も離れているんだし”という明らかな事実は、いつも私を安心させてくれていた。
けれど自分の、母親としてのあり方を、本当にこれでいいのかと、本当は気にしていたんだということに気付いてしまった。
でも、母へ送るLINEの文章にこのセリフが出てきたことで、なんだか急にストンと落ちて、あの焦りのような緊張のような”まじか”という気持ちは消えてなくなった。
きっと周りと比べてるのは子どもの成長というよりも、自分の母親スキルなのかもしれない
まず私は母にこのような文章を送った。
「姪にできて息子にできないことがたくさんあっても、早生まれのおかげで「9ヶ月も離れてるからね〜!」で済んでたけど、今度はうちの方が早いから、ちゃんと成長させてあげられるのか少しプレッシャーに感じてしまう」
そうだ、私が感じていたのは、プレッシャーだったのだ。
先に生まれる我が家の第二子より、1ヶ月半遅れで弟のところに生まれる第二子の方が成長が早かったら、今度こそ”私のせいで”が露呈してしまう。
あの ”まじか” の正体は "どうしよう・・・・” だったようだ。
でも、母からの返事はこうだった。
「そう思うのは、わかる。
でも子供の成長は個人差があるから、それに子育てが下手とかはないよ。
比べたりしないから、気にすることないからね。まずは無事に赤ちゃんを産んでね」
よかった。母親としてのあり方を比べられていなかった。
私はそう思った。
安心した私は自然と「きっと周りと比べてるのは子どもの成長というよりも、自分の母親スキルなのかもしれないね」と送っていた。
そうだ。私は、子を比べてはいなかったけど、子を通して他の母親たちと自分を比べていたんだと思った。
私は私
自分の子と周りの子を比べて子に成長を急かしたり ”なんでできないの!” と怒ったりしてしまう母親のエピソードみたいな話はよく聞くけど、その根幹って、結構これなんじゃないかなと思った。
私だって、今は息子の成長を急かしたりはしてないし今後そんなことする予定もないとは言いつつも、いつそのような行動にでてしまうかはわからない。
それを防ぐために、まずは母親として完璧じゃなくてもいいから、環境面・経済面・精神面それぞれの分野での今できるベストだけは尽くしたい。
そして、母親としてだけでなく、”わたし”という存在も自分できちんと育てていかないといけないなと思った。
母親になる前から存在していた自分が忘れ去られてしまった際に生じるひずみはきっと、子供に向きがちなんだと思う。
今はもう、弟の第二子より先に自分の第二子を生むことにプレッシャーは感じていない。自分の第二子にも弟の第二子にも早く会いたい。
あまり向き合いたくない自分の情けない感情に、きちんと向き合ってみてよかった。
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