何もできない自分のもどかしさ。




最近、無駄な時間を過ごしがちだなぁと思う。




勉強したいことが山程あるのに、TwitterとInstagramとFacebookを順番に開き続けたり、スキルアップのためというよりも娯楽のためのyoutube動画をつい観てしまったりしている。




夫から頼まれている開業準備の手伝い関係はたくさんあるし、それをこなすために必要なスキルは私自身が身につけたいと思っているスキルでもあるから、ひたすら勉強した方がいいに決まっているしそれを望んでいるはずなのに、なんでこんなにもぐーたらしてしまうのか。考えてみた。




たどり着いた答えは2つ。




1つは、恒常性。




人間には、常に一定であろうとする機能が備わっている。




夏でも冬でも、人間の体温は変わらない。これはどんな状況でもからだを一定の状態に保っていくことで生き延びようとする、人体に備えつけられている機能だ。




この原理は心理学の面でも働くのだそう。




理想に近づこうとたくさん勉強したり行動したりすることは、自分を変化させる行為だ。いい方向への変化なら止めないでほしいところだが、良くも悪くも、己を現状維持させようとする恒常性の機能が働くらしい。




やりたいことがたくさんあるのについ怠けてしまうのは、心理学的に仕方がないことのようなので、毎日少しずつ脳をだましていくことが効果的らしい。




これまでまったく勉強習慣がなかったところに急に一日6時間も勉強するのはさすがに脳もびっくりする。だから例えばまずは一日15分だけ勉強してみる。一週間経ったら30分、また一週間経ったら1時間、という風に、ちょっとずつ変化させていくと、馴染んでくるのだろうと思う。




心理学的な問題についてはこれで解決した。




問題は2つ目。




これは、私だけのことというか、性格なんだろうけど。私は、自分がどんな行動をするか、ぜんぶ自分で決めたい人間だ。




だから、あれをしろこれをしろと、指図を受けたくない。




自らやろうとしていたことだとしても、それについて外部から言及された途端、"私が積極的にやりたいこと”から"言われたから義務でやらないとけないこと”に切り替わってしまう。




いつもタスクに追われている忙しない感じは窮屈で不自由な感じがするから、ものすごく嫌だ。




だから自分を逃したくて、SNSをぼーっと眺める虚無時間を設けることでストレスを発散しているんだと考察した。




でも、結局やりたいことを満足にできなかった自己嫌悪を感じているのだから、ストレスは発散できていないしむしろたまっている。




私に必要なのは、「夫から指図された途端やりたいことが義務になってしまい、やりたくなくなってしまう」等と、自分が行動できないことを人のせいにしないこと。自分の選択と行動に責任をもつこと。例え夫だろうが外部の声は聞かず、"私はどうしたいのか”にフォーカスを当てて決断すること。




このあたりなんじゃないかと思った。




セルフカウンセリング、おしまい。




何もできない自分のもどかしさを、人のせいにせず、理想と現実のギャップを着実に埋めていこう・・・・!



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