見出し画像

VOICE for FUTABA Season3 – Vol.1《双葉町結ぶ会編》前編「双葉町結ぶ会とは?/双葉町に帰還・移住した理由」

2022年8月の避難指示の一部解除を受け、徐々に住民が増えつつある双葉町。生まれ育った双葉町に帰還した住民もいれば、新たに移住してきた住民もいるなかで、町では有志によるコミュニティ(団体)が誕生しています。シーズン3の第1回目となる今回は、町民によって結成された「双葉町結ぶ会」の共同代表・副代表のみなさんとのトークセッションを開催しました。

【参加メンバー】
・谷津田 陽一(双葉町結ぶ会 共同代表)
双葉町出身。双葉町町内居住。

・大島 遊亀慶(双葉町結ぶ会 共同代表)
福島市出身。双葉町えきにし住宅居住。

・島 美紀(双葉町結ぶ会 副代表)
埼玉県出身。双葉町えきにし住宅居住。

・髙崎 丈(KIBITAKI代表)
双葉町出身。元「JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき」のオーナーで、2022年に「髙崎のおかん」をオープン。日本酒のお燗を広める活動を展開中。株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立、その中でKIBITAKI プロジェクトを立ち上げて双葉町の再出発におけるさまざまな活動を企画・プロデュースしている。

・町井 智彦 ・清水 信宏
UR都市機構 東北震災復興支援本部 福島復興支援部 地域再生課
原子力被災地での持続的なまちづくりに向けて、関係人口の拡大や誘導による地域再生に取り組む。町内外のさまざまな人が関われるコトづくりを目指し、多様な主体との協働・連携を進めている。

・小林 雅幸
株式会社Rurio代表取締役
東北大学工学部を3月に卒業、双葉町での活動により注力するべく任意団体を法人化し、代表を務める。これまでに双葉町でバイリンガルツアー「PaletteCamp」やバイリンガル雑誌「iro」を発案。双葉町から世界に発信力を持つメディアブランドを作るべく、浜通りを駆け巡る。

・島野 賢哉
株式会社サムライジンガ 代表取締役/プロデューサー
ブラジル、台湾における芸術文化を中心としたプロジェクトに携わる。クリエイティブサウンドスペース『ZIRIGUIDUM(ジリギドゥン)』創設者。髙崎とともにKIBITAKI プロジェクトに参画し、さまざまな事業推進に携わっている。

双葉町結ぶ会とは?

髙崎 今日はお集まりいただきありがとうございます。早速ですが、「双葉町結ぶ会」がどのような団体なのか教えていただけますか?

谷津田 「双葉町結ぶ会」は、双葉町えきにし住宅の住民を中心としたメンバーで構成されています。住んでいる地区や属性などに縛られないゆるやかな組織体をつくろうという意図で、自主的に設立した団体です。

大島 震災前に双葉町に住んでいた住民と、避難指示解除後に移住してきた住民の両方が、この会のメンバーになっています。共同代表である私自身も双葉町の出身ではありません。そうしたなかで、町民同士のつながりがまだ薄いので、さまざまな活動を通してみんなで親睦を深めるために、自治会という既存の組織ではない新しい組織をつくりました。

島野 日頃はどのような活動をされているのでしょうか?

谷津田 基本は雑談ですね。集会所に週1回集まって話をします。この雑談が、わたしはまちづくりの土台になると思っています。双葉町で暮らしていくなかでのいろんな悩みや不満が出てきますから。

小林 雑談は大切ですよね。

島 「会社の給湯室の会話みたい」と私は思っています。給湯室で雑談することで、会社の課題などがみんなに共有されていきますよね。同じように、「双葉町結ぶ会」でもみんなが気軽に話し合うことでいろんな話題が出て、住民の困りごとも共有され、それらが解決されたり新たな活動が生まれたりします。

谷津田 雑談を大切にしているから、メディアによる取材はなるべくお断りしています。雑談の場で記者が写真を撮っていたりしたら、みんな気軽に話せないですからね。

大島 集会所には人が集まっているから、メディアや調査の方々が興味を持たれるのも、よく理解できるんですけどね。

島野 役場の方が参加されたりはするのでしょうか?

谷津田 いえ、役場の方は参加されないですね。ぜひ参加いただいて、住民の不満や要望を聞いていただければとも思いますが。

島 双葉町の元町民である髙崎さんは、「双葉町結ぶ会」についてどう感じますか?

髙崎 すごく良い団体だと思います。いろんな人や団体が、双葉町をより良くするために具体的に動き出していくことが、私は大切だと感じています。それぞれの立場やできることが異なっても、「双葉町を良くしよう」という想いはみんな一緒ですからね。

双葉町えきにし住宅の集会所で、今回のトークセッションは開催されました。

双葉町に帰還・移住した理由

小林 みなさんが双葉町に戻ろうと思った理由、または移住しようと思った理由を教えていただけますか?

谷津田 私はもともと双葉町の町民です。2011年の東日本大震災の当時も双葉町に住んでいて、独立した子ども夫婦も近くに住んでいました。それで震災があって避難していたのですが、6年前くらいに双葉町に戻れるようになるかもしれないという話を聞いて、それから準備を進めてきました。双葉町にはたくさんの思い出もあるし、ここでなら自分の趣味もできる。だから、ずっと避難指示が解除になるのを待っていました。

大島 私は福島市の出身ですが、ずっと首都圏で生活していました。しかし、友人の死がきっかけとなって自分の人生を考えるようになり、「福島県に戻りたい」と思うようになったんですね。それで、5年前に双葉郡に来ました。最初は楢葉町に住み、次に富岡町に住みました。ただ、仕事ではいろんなコミュニティに加われるものの、自宅に戻ると一人になってしまうという悩みがありました。そうしたなかで縁があって双葉町で仕事をしており、双葉町えきにし住宅のコンセプトを知りました。前からの住民も新しい住民も一緒になってコミュニティをつくっていくコンセプトに共感し、私は双葉町えきにし住宅への入居を決意しました。

島 私は埼玉県の出身で、ずっと埼玉県で暮らしてきました。双葉町に関わるきっかけになったのは、福島県の避難指示の対象となった12市町村の物産を扱う地方創生のイベントを開催したことです。そのときに双葉ダルマを仕入れたところ、最初に完売して。その後、商談などで12市町村に通うようになり、次第に「こっちに住みたいな」と思うようになりました。それと、双葉町の町民の方に、「あなたたちどこの電気使ってたの?双葉町の町民は東北電力の電気を使ってたんだよ。事故を起こした東京電力の発電所の電気を使っていたのは、あなたたちでしょ」と言われたのがすごくショックで。なにも言葉も返せない反面、いつかは恩返しができたらなと思っていました。それで、子どもたちにも「50歳になったら自分の夢を叶えたい」とずっと言ってきたので、50歳になったのを機に家族と離れ、こっちに移住してきました。最初は楢葉町に住んで、双葉町えきにし住宅への入居と同時に双葉町の町民となりました。

髙崎 双葉町えきにし住宅の住民は増えているんですよね?

大島 そうですね。増えてきていますね。ただ、双葉町の町民をもっと増やしていくには、私たちが「双葉町はいいところだよ。住みやすいところだよ」という印象を広めていく必要があると思っています。

島 役場がどんなに「こんなに立派な施設ができました」と発信しても、暮らしている人が幸せそうじゃなかったら、誰も移住したいとは思いませんからね。

谷津田 そうですよね。笑顔で安心して生活できる町であることを多くの人に伝えたいですよね。町民同士のつながりもあるし、高齢者も健康的に暮らしていけると。

島野 高齢者の方を含め、単身で住んでいる方も多いのですか?

谷津田 多いですね。

島 双葉町の特徴としては、女性の単身者が多いですよね。双葉郡でも他の自治体は、単身者は男性が多いイメージがあります。双葉町えきにし住宅は女性ひとりでも安心して住めるので、私のような女性の単身者も増えているのかなと思います。

―後編に続く―

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?