見出し画像

VOICE for FUTABA Season3 – Vol.3《元町民編》後編「今後の双葉町との関わり方/双葉町の未来について」

双葉町の元町民であり、現在は宮城県仙台市にお住まいの稲本さんとともに実施したVol.3のトークセッション。後編では、稲本さんの双葉町との関わり方や町の未来について話し合いました。

【参加メンバー】
・稲本 清孝

双葉町出身。仙台在住。2011年の東日本大震災は双葉町で被災。

・髙崎 丈(KIBITAKI代表)
双葉町出身。元「JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき」のオーナーで、2022年に「髙崎のおかん」をオープン。日本酒のお燗を広める活動を展開中。株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立、その中でKIBITAKI プロジェクトを立ち上げて双葉町の再出発におけるさまざまな活動を企画・プロデュースしている。

・町井 智彦 ・清水 信宏
UR都市機構 東北震災復興支援本部 福島復興支援部 地域再生課
原子力被災地での持続的なまちづくりに向けて、関係人口の拡大や誘導による地域再生に取り組む。町内外のさまざまな人が関われるコトづくりを目指し、多様な主体との協働・連携を進めている。

・島野 賢哉
株式会社サムライジンガ 代表取締役/プロデューサー
ブラジル、台湾における芸術文化を中心としたプロジェクトに携わる。クリエイティブサウンドスペース『ZIRIGUIDUM(ジリギドゥン)』創設者。髙崎とともにKIBITAKIプロジェクトに参画し、さまざまな事業推進に携わっている。

今後の双葉町との関わり方

髙崎 稲本さんは、双葉町に戻られる予定や戻りたいという気持ちはあるのでしょうか?

稲本 あります。自分の土地に小さな家を建てて、仙台と双葉町の二拠点生活をしたいと思っています。その家を子どもや孫が集まれる場所にできたらとも思っています。

島野 家を建てるにあたって、なにか障壁になっていることはあるのですか?

稲本 私の土地まで、今は水道が来ていません。やはり最低限のインフラが整備できないと生活できないので、まだ家を建てるのは難しいですね。

髙崎 仙台のマンションには息子さんのご家族もいらっしゃるとのことでしたが、息子さんは双葉町に戻る意志などはあるのでしょうか?

稲本 そのような話をしたことはないのですが、やはり仙台に根付いて生活をしているので、息子の家族が双葉町に戻るのは難しいのかなと思いますね。

町井 「双萩会」のみなさまのうち、双葉町に戻りたいと言っている方はいますか?

稲本 双葉町に戻るという具体的な話は、まだ聞いたことがありません。生まれ育った町に戻りたい気持ちは間違いなくあるのでしょうが、もうみんな高齢になってきていますので。やっぱり年を取ると、環境を変えるのは難しくなりますよね。

清水 そうですよね。一度慣れ親しんだ生活は、なかなか変えられないですよね。

稲本 震災から3〜4年後のころだったら、多くの人が双葉町に戻ったと思います。でも、もう10年以上経ってしまったので、「戻りたい」という気持ちも次第に薄れてきてしまっているのかもしれません。

髙崎 うちの両親もまさにそういう状況だと思います。

稲本 高齢になると、どうしても行動範囲は狭まるし、健康の問題も出てきます。「双萩会」の会員も70代の人が多いですし、持病を持っている人も多いですから。医療機関が充実している地域でないと、生活が難しくなってきています。

稲本さんの自宅があった地区の現在の様子。

双葉町の未来について

島野 今後の双葉町について稲本さんが望んでいることはありますか?

稲本 やっぱり人口が増えてほしいですよね。なにをするにしても、やっぱり人が増えないと成り立ちませんから。他県・他町からも多くの人が双葉町に移り住んでくれればと思います。

町井 やっぱり人がたくさんいないと活気も生まれませんしね。

稲本 それと、元町民の人が集まれるお祭りやイベントがあると嬉しいですね。そういうのがないと双葉町に戻るきっかけがない元町民の人も多いので。

清水 帰って来れる機会があるといいと思います。双葉町の良いところは、昔の人同士でお互いに気心が知れているところで、それは財産だと思います。

髙崎 双葉町に関わる若い世代に伝えたいことはなにかありますか?

稲本 ぜひ若い世代の方々が中心となって双葉町を盛り上げてくれればと思います。でも、「若い人お願いします」とお任せしても困ってしまうだろうから、もちろん私たちにできることはやっていかないといけないと考えていますが。

髙崎 町の人はみんな顔見知りという昔の双葉町のように、またなってほしいですよね。元町民が望んでいるのは、そういう温かいコミュニティーですからね。別に立派な建物とかを求めているわけではなくて。

稲本 そのとおりだと思います。町にできてほしいのは、例えば「なんとか横丁」にあるような、地域の人が集まる小さな居酒屋さんなんですよね。立派な建物とかお店よりも、そういう地域に根ざした小さなお店が、コミュニティをつくっていくはずなので。

島野 双葉町へ戻った方や移住者の方が入居している「えきにし住宅」でも、定期的に住民が集まったりしてコミュニティづくりに力を入れているようです。そのように温かなコミュニティを大切にする文化は、震災前も今も変わってないですよね。

稲本 確かにそうですね。温かなコミュニティが、双葉町の文化としてこれからも残っていってほしいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?