言葉について。
季節はずれの、あたたかい雨が降った。
あとはもう次第に冷えて硬くなっていくだけの、この場所のすべてに。
–ずるいな。人の気も知らないで。
どうして、こんなことができるんだろう。
-----------------------------------------------------------------
小さな頃から、口が災いしてきた。
そんな風に思っている。今も。
胸のなかには、いつも言葉があふれていて、
どんなことを云えばいいのか、選べなくなる。
あのとき、あんなこと言わなければよかった。
あのとき、なぜこう言えなかったんだろうか。
そんなことばかりだ。
少なくとも自分では、そう思っている。
そうして数えきれないほどのそんな場面と、
そこで決まって肺の奥や脳の細い管に沁みこんでくる、音のない空気。
停止の信号。思い出して、消えてしまいたくなるような思い出。
不意に襲われて、蹲って、すべてを拒みたくなる。
それなのに、いつまでも満足にできるようにならなくて、
俺は本当に馬鹿なんじゃないか、と思う。
だから、この文章のことも、こうして日のもとに晒す前に、何度も確かめた。
うまくできないから、時間がかかる。
言葉を、心を、軽はずみに弄ばないこと。
かといって、胸の中で腐らせてしまわないこと。
傷つけるなら、なるべく自分のことだけにすること。
できるなら自分さえも、言葉に傷つけさせないこと。
なら、やめればいいのに、とも思う。
もっともだと思う。
それでも、言葉にしようとするのをやめないのは、何故だ。
分からないけれど、きっと自分が言葉に救われたときのことを、憶えているから、なのかもしれない。
-----------------------------------------------------------------
自分が自分の心にかけてやる言葉。
胸の中にあって、決して口にはしない言葉。
それを軽やかに越えて、自ら張り巡らせた予防線の思いもよらないところから、
誰かの言葉が届く。
心の、脆くて弱い、やわらかい場所へ。
ひとりではない。
ひとりではなくて、よかった。
そう思える瞬間を、言葉がひらくことがある。
言葉にできない哀しみや、
言葉をこえる喜びを、
言葉で描けたら。言葉で、迫れたら。
そう信じたくて、こうしてここに、言葉を注ぎ込んでいる。
自分にとって言葉は、そういうものなのだ。
もっと簡単に、適切に、言葉を操り、言葉と睦みあえるひとを羨ましく思う。
俺は恐らく、記してしまうことへの咎を振り切る力が弱い。
それでも、言葉を手放さずにいようと思う。
どうしたってそこからしか、やり直せないから。
-----------------------------------------------------------------
季節はずれの、あたたかい雨が降った。
あとはもうこのまま、冷えて硬くなっていくしかなかった、心を見透かすようにして。
あんなに高いところから、こうして来てくれる。
それに引き換え、俺はどうしようもなく地べたを這いまわって、馬鹿みたいに言葉を探している。
高いところから、俺はどんな風に見えるんだろうな。
救うのはいつも、もの云わぬ景色だ。
そのことについても、いつか、言葉にしなくちゃ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?