いつも、あの窓から。
季節の継ぎ目に、天気はくるくると変わって忙しい。
泣きながら笑う自分に戸惑うように。
風が春を告げていた。
すぐ後に、その風に雪が載っても。
自分で名付けられないものでも、
なんとか切れ切れに、結び目だらけのことばを繋げていくことさえできれば、
思いがけず、軽やかにさらりと、
名まえを付けて呼んでくれるひとが居る。
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3/1に、suisaiでアカペラライブに出演する。
友人の主催するアカペラグループの共催ライブに、友情出演として歌う機会をいただいた。
この共催ライブについては、suisaiのブログでも、メンバーのRyuが綴っているので、そちらも是非読んでもらえたら嬉しい。
此処では、もう少し私的なイメージの断片を書いていこうと思う。
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もう5年程も前になるだろうか、
鈍行を乗り継いで、弘前を訪れた。
「さくらまつり」を観るためだった。
「淡く、薄青く透明な」
そこに、爛漫の桜を少しだけ風に溶かした、薄桃の霞が棚引いているような、
初めて降り立った街に、これまで、これほどはっきりとした印象を抱いたことはなかった。
学都の面立ち。
煉瓦や石造りの、明治、大正期から残る建築が点在しており、街並み全体と静かに調和していた。
そして、何よりもそこに-ことばではとても追い付かないほどに奥ゆかしく、そして強く-充ちていたのは、
この北の街に漸く、待ちわびた春が訪れたことへの喜びだったように思う。
口にせずとも、皆が静かにその喜びと、抑えきれず浮き立つ気持を分かち合っていた。
あの日、あの街に甘い靄のように充ちていたものは、それだったのではないだろうか。
夕方近くになると、陽はその靄に反射する黄金(きん)の粉になって、建物たちの肩口に降った。
弘前城。
匂いに酔うほどの桜。
堀には花の筏が浮かび、
公園には出店が立ち並び、
津軽三味線と謡いの声と、仄かな酒の香と、
「やっと、待っていた春が来た」
すべてがうつくしい夜だった。
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春の喜びは、その訪れを待つこころの中にこそ、在るのではないだろうか。
と、近頃思うようになった。
なんだか和歌を詠むひとみたいだ。
弘前ほど北ではないが、自分も東北の出身だ。
(東北に限らず何処もそうかも知れないが)
冬に窓を開け放つことなんて、滅多にない。
雪の朝、月の夜、
春を待っている。
閉め切った窓の外を眺めて。
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「窓を開ける」
という行為に、能動的なイメージを抱く。
「内」に存在を置きながらも、主に視覚、触覚、嗅覚、聴覚の4つの感覚を「外」に接続させる仕掛けと言える。
そしてそれは招き入れるだけのものではなく、
自分がそこから身を乗り出したり、さらには窓から身体ごと抜け出して、外界へ出るための通用路、とすることもできる。
ヒカリノテラス、ヒカリノテラス。
言葉遊びのようにも聞えるが、
きっと、そういうことなのだ。
いつも、あの窓から。
そして、その窓を開けるとき、
月や、星や空や、風や、そういうぜんぶと、
「わたし」がつながる。
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窓を開けると、得体の知れないものもたくさん飛び込んでくる。
そしてそれを「解決すべき問題」として捉えるひとも、居る。
このライブの開催に関わる運営の判断については、以下を是非参照してもらいたい。
「ヒカリノテラス」コロナウイルスへの対応、およびライブ実施の判断について
suisaiはこの判断に基づいて出演する。
あとは、
しっかりと眠り、栄養を摂り、
手を洗い、うがいをして、
そして普段より用心をして、過ごそうと思う。
まずは、そこからだ。
そして、このライブに来場したいと思ってくれている方にも、
よければそうしてもらえたらと思っている。
もちろん具合が良くないとき、
具合が悪くなくても、心配なとき、
そういうときには「行かない」判断をすることも含めて。
もし来られるときには、
一緒に、いい時間にしましょう。
そして、家に帰ったらみんなで、念入りに手洗いとうがいをしましょう。
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その窓を開けて。
きっと、春が吹き込んでくるから。
応えるようにそっと、春を歌おう。
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