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みどりを渡る風。

「それでも生きていかなければならないとは、おそろしい言葉である。
ほとんどの人間が、それぞれの幸福の絶頂期に、あるいは辛いことのさなかで、死ぬことができない。
たいていが落ち目の長い坂をくだりながら、あるいは依然として辛い毎日を、
衰老に向って生きていかなければならない。」

つづく日々、
どうして、終わらせてくれない?

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6月2日の主催ライブから約1か月、
7月13日に、続いての機会をいただいた。
神奈川県海老名市の「大島記念音楽堂」にて、演奏会を行う。

客席数47。室内楽や合唱、ピアノ、クラシック音楽などが多く演奏されるホールで、
suisaiは今回もマイク等を通さず、6人の声と空間の響きを混ぜ合わせて歌う予定だ。
チケットもすでに完売となり、とても有難く、嬉しい。

主催ライブを除けば、初めてのホールでの演奏であり、
また、普段とは違った客層へと、演奏を届ける機会でもある。
それぞれの日々は地続きでも、ひとつひとつが全く違った場所であり、基本的には戻れない、不可逆なものだ。
いつも、試されている。

主催ライブを終えて、夢のような心地と、やり切った気持と、終わってしまったことへの薄寒さのようなものが、ごく最近まで綯い交ぜになっていた。
そしてまた、いつも通りの明け暮れが繰り返され、
「あのとき」のような、いいことがまた起こりはしないか、
「あのとき」は、いまもまだ、続いてはいないか、
時間の帯を繰り、誰かの喜びや悲しみに目配せし、ひとり勝手に焦れたり、苛立ったりした。
じくじくと、惨めさが溜め込まれていった。一枚、また一枚と、日付を捲ってやり過ごした。

それでも、終わらせる意気地はない。
「だから、面白がってみようと思う。」
焼け落ちていく、数知れぬ言葉と音。その躯の上に立って。

「みどりを渡る風」
颯々と、夏が訪れる。
できるならすべてのことに、あたらしさを感じていたい。
それは常に、決別のあとに、飛び込んでくるものだから。

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