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例えばそこが、

あなただけの大切な、かけがえのない場所だとしたら。
傷や疲れを、怒りを、憎しみを、弱さや嘘を連れたまま、その扉を開けさえすれば、護られ、包まれ、深く大きく息ができる。

そんな場所があるとしたら。

suisaiのon-line package "mado"
先日、第2回の配信を終えた。
ご視聴いただいた皆様、ありがとうございました。

8/10までの間、以下のリンクからアーカイブ視聴が可能なので、
よければぜひ、少しずつでも観てもらいたい。

"mado" scene 2 "a/part"

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思うところあって、書いてみる。
これから書くことは、あくまでも自分自身がこの"mado"に対して抱くイメージで、suisaiのグループとしての総意でもなく、各々のメンバーの持つイメージと同じでもない。

この"mado"という企画が、ひとつの「場所」になるといい。
そう思っている。

どんな場所か。
自分は勝手に「喫茶店」をイメージしているのだが、
誰かにとっては「画廊」や「ギャラリー」だったり、また誰かにとっては「古書店」のような場所だったり、別の誰かには「居酒屋」や「バー」だったりするかもしれない。
「教会」とか「美術館」というのでもいいね。
具体的な場所は、何に擬えてもいい。

そこに行けば、安心してひとりになれる。
ひとには見せるのが憚られてしまう、そんな思いも遠慮なく開いて、ひとりで眺められるような場所。
優しい空気が流れ、こころの凝りが解け、いつのまにか涙を流したり、眠りにつくような場所。
身体や心に染み渡るような味や、匂い香り、音や、暖かい色や光のある場所。
何となくきれいな風景のように、自分自身のこころと、ゆっくりとしずかな話のできる場所。

"mado"で届ける言葉や声や、その重なりによって生まれるうたが、ひとつひとつ、
扉を開けて訪れてくれたその人に宛てた手紙を認めるように、珈琲を淹れるように、
やわらかなこころの傷や弱さを隠さずに、安心してそのままで居られる場所になって、聴く人を包むことができたら。
そう願いながら、制作を続けている。

自分自身に限りを作るような苦しさはあるが、
きっとその場所は、そんなにたくさんの人を収容することも、
かといって時間を区切って取り回したり、行列を作らせて待たせたり、ということもできないのだろうな、と思ってしまう。
名乗る必要もない、だから訪れても、何も言わずに通り過ぎてもいいのに、
そのとき自分の感じたことを言葉にして伝えてくれる人がいる。
そんなときに、こちらもしっかりと相手の目を見て、自分の言葉で応えられる、そのゆとりを失わずに居たい。

そして、誰かにとってのその場所がいつ必要になるかが判らないならば、
自分はいつでも、その場所の扉が開くようにしていたい、と思う。
それは大抵、どの場所にも逃げ込めない、何処にも行けないようなとき、なのだと思う。
そんなときが訪れるかもしれない。
そんな人がいるかもしれない。

同時に忘れてはならないのは、
その場所を訪れずに素通りする誰かが、数え切れないほどいるのだろう、ということだ。
そこだけが、誰もにとっての唯一の救いとはなり得ない。
唯一の救いなんてものがあるなら、いまの世界はこんなにはなっていない。
ならばむしろ、それぞれにとっての救いは、可能な限り多かれかしと思う。

例えば、その場所の扉を開けないことに悲しい気持ちになったり、無力感に苛まれたり、苛立ちそうになるとしても、その前に、
もしも誰かが扉を開けて訪れてくれたとしたら、たとえ何があっても、その場所にいる間の彼/彼女を護る準備をしたい。

madoをはじめ、YouTubeに投稿している映像やSNSの投稿などについて、
今のsuisaiをどれだけの人に、どのように届けられているだろうか、という思いを禁じ得ない。
もしかしたら自分は独り善がりで、誰かの切実さを無視したり、耳を傾けていないのではないか、という不安に駆られることも、ある。
それでも、一回の視聴回数や、ひとつの反応の向こう側にあるものに、もっと思いを致したい。
どんな思いで、再生ボタンを押してくれたのか。自分たちのうたを聴いてくれたのか。
そのことに対する想像を欠くようなところに、俺は行ってはいけない。
俺は馬鹿だから、すぐ忘れそうになる。

ありがとう。
そう思って、今日も歌う。今日もつくる。
たとえどれだけ遠く感じられても、
どれだけ果てしなく広がっているように見えても、
たったひとりの耳許へ、こころへと届くように。
それはもう、ひとつの祈りだ。

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"mado"の第3回配信は、8月の下旬を予定している。
夏の天頂を越え、青空に微かな紫のニュアンス-切なさ、とも呼ぶのかもしれない-が入り交じる季節の頃合、
またあたらしい風景をお送りしたいと思う。

それぞれの窓辺で、またお会いしましょう。
かけがえのない場所になれるように、
扉の向こうで、いつでも待っています。

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