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未来が過去を変えるとき。

あっという間に5月が終わり、6月を迎えた。
息をつく暇もなく、昼もなく夜もなく、
少しだけ出来た隙間を都度継ぎ接ぎして、この文章を書いている。
落ち込むことが多い。それでも、やっぱり自分を救ってくれるのは一杯の珈琲と、それからうただ。

今回も、suisaiのことについての文章になる。

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先日、suisaiで2つの新しいsketch(短い曲のことです)をYoutubeにリリースした。

Official髭男dism「Travelers」

荒井由美「ひこうき雲」

先にリリースしたのは「Travelers」だが、楽譜の制作や録音等を行っていたのは「ひこうき雲」のほうが先、まだ結成して1年も経たないころだったろうか。
この2作をこの時期に送り出せたことに、大きな意味を感じている。

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「Travelers」のリリースを発案してくれたのは、メンバーのKomeiだ。編曲とミックスも彼が手がけた。
新型コロナウイルスの影響色濃く、これまで当たり前だと思っていた様々な事柄を、僕たちは自身の意思で諦めたり、大きな流れに納得せざるを得ない、そんな状況に日々直面し続けている。
そんな状況を受け止めたうえで、それでも希望に向かって旅を続けようとする、力強いテーマを感じながら歌った。

「皆で集まって歌えなくなって、ライブも中止になって、もう活動できない、って落ち込んでいる人も周りに多いからさ。」
「リモートで録音して、練習して、作品を作って、まだ全部終わったわけじゃない、いくらでもやりようはあるんだ、ってことを見せられたらいいと思ったんだよね。」

zoomでのオンライン練習で、彼はぽつぽつとそう言った。
彼らしい、と感じた。
彼奴はいつでも周囲の誰かのことを考えて動く。考えるだけじゃなくて、動く。
本当にいい奴だ、と思う。
Komeiだけではない。suisaiの各々のメンバーが、彼らなりの希望を見出しながら、こんな状況だからこそ、新しい方法を模索し、工夫を凝らして、日々動いている。
実際のところ、オンライン練習を取り入れてからの方がしっかりと練習に参加できている実感を持てているし、メンバーに伝えられる事柄も格段に増えた。

suisai「Remoteアカペラ練習法」

手前味噌ながら、本当にメンバーに恵まれた。
幸せだな、と思うし、suisaiの一員でいられることが、自分にとっての希望になっていると思う。

少し話が逸れたが、suisai、少なくとも自分は「Travelers」をそんな「希望の歌」と捉えている。

そして、この「Travelers」を制作することによって、もうひとつ自分の中で書き換えられた物語があった。
それが後者の「ひこうき雲」の物語だった。

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当初自分は「ひこうき雲」を「死」のイメージと強く結び付けていた。
おそらく今回のことがなければ、そのイメージはそのまま書き換わらなかったろうと思う。
地上から遠ざかる機体と、それが引く雲の尾をただ見つめる視線。
漠とした、果てしない空。
生きているものが手を伸ばしても届かない、空。

それなのにどうしてだろうか、「Travelers」に出会って変わった。
その雲を引く機体には操縦席が備えられていて、そこに乗り込み、機体を動かす誰かが居て、
その「誰か」は、決して当て所なく空に浮かんでいるのではない、
果てなく広がる空の先に目的地を見出して、希望を焚いて、進もうとしている。

そのイメージが飛び込んできたとき、
ひこうき雲を見つめる眼差しの行き先も、その意味を変えたのだった。
空に果てが生まれた。見つめる理由が生まれた。
帰りを待つ。再会を祈る。
もしかしたら「死」すらも、大きな旅のひとつの過程に包み込むような―そんな広がりを読むに至った。

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過去が未来を変えるとばかり思っていた。
未来は絶えず過去に取り込まれていく「今」の堆積物、不可逆なものとばかり考えていた。
しかし必ずしもそうではないのだと解った。未来もまた、過去を変え得る。
その多くを、僕たちはある種の「赦し」と呼ぶのかもしれない。

生きることは選び取ることだと思う。
そして選び取ることは同時に「選び取るもの以外を捨象する」ことだ。
僕たちは大抵、選んだ人生以外を生きることができなくて、「選ばれなかった無数の選択肢を生きる自分」を絶えず殺している、と表現することもできる。

「今しかない」「これしかない」と、どうしても思う。
生命や安全を守るために、僕たちが自ら手放している数限りない選択肢もまた「生命」そのものだから。
それを誰が返してくれるだろう。
誰のことも気に留めずただ流れていく時間のなかで「それでも生きていかなければならない」なんて、
「希望を持って」「がんばろう」「諦めないで」なんて、それはもちろんその通りで、畢竟そうやっていくしかないのも重々わかっている。
けれど、絶えず肩に残る「選ばれなかったものたち」の声を聴かずには、俺は無理だ。
どうやって生きていかれよう、って思うんだ。
耳を塞いではいけないんだよ。
特にいま、こんなときにこそ。
希望にたどり着くなんて、簡単じゃない。
希望を持つのは、めちゃめちゃ難しい。
それでもすんなり簡単に希望を抱けるときがあるとしたら、それはきっと奇跡で、最高だ。
なぜなら希望には、根拠がないから。

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正直なことを言うと「いつ終わるか」と思って、suisaiの活動を続けてきた。
決してネガティヴな意味ではない。
「いつ終わっても悔いのないように」と思ってやってきたからこそ、今があると思っている。
でも今は少し違う。
今書いた思いは変わらず持っていながらも、同時に
「いつまでも、終わってたまるか」と思っている。
これからも様々なことが絶えず変わり続けるだろう。この気持だって、もしかしたら変わっていくだろう。
それでも、終わらないうたを歌い続けるために、なにかできることはないか、なにかないか、と、
たとえみっともなくとも、根拠のない希望を思い浮かべてもがき続けようと思う。
うただけは、決して手放さない。

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suisaiはこの6月末に結成から3年を迎える。
昨日はちょうど、初めてのワンマンライブから1年の日だった。
また、潮目が来ている。

初めて声を合わせた日のことを思い出しながら。新しい筆致で。
suisaiも、また少しずつ変わります。
だからよければ、それをまた、楽しみにしていてください。

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