ちがう星からきた人と、愛し合うために。〜愛を伝える言語の話〜


(元のURL:https://www.dtto.com/f/jp_love/p/241874944?ref=ios )



前回は私の大好きな作品の、お気に入りの名言たちを紹介しました(^^)
しかし、ここに紹介しなかった、すごく重要で大好きな考え方が、実はまだありまして。
やっぱり書くことにしました。

人と人とが通じ合い、理解し合うためには、
多分理解していないと苦しむことになるような。
これをわかって初めて、本当に愛し合うことができるのではないのか、と思うような。
そんなアイデアです。


(第53話 狭いお部屋の広い空 より)
寺尾さんは、ちひろさんのお店によくやってくる、宇宙の話が大好きなおじさんでした。

誰1人として同じ人間はいません。
みな、異なるバックグラウンドと、異なる人間関係と、異なる歴史を抱えている。
たとえ血が繋がっていようとも、全く別の人格を有している。
同じ環境下に置かれていたとしても、脳内に渦巻くものは、みなそれぞれ違い。
全く異なる文化からやってきても、わずかに重なり合う部分をみつけ共鳴しあう。
これを、
「私たちはみな、一人一人が
 ちがう星からやって来ている」
とするのは、大変言い得て妙であると思いました。


昔、お付き合いしていた人にこんなふうに言ったことがあります。
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きっと、今の私が知らないような魅力が
あなたにはまだたくさんあるんだと思う。
だって私は、私と出会う前のあなたのことは、どれだけ時間をかけても"完璧に"知り尽くすことはできないし、
そうしているうちに、目の前のあなたも
付き合っていく中で、絶えず変わっていくから。
あなたがこれまで生きてきた中で、
いろんなことを経験して、いろんな人たちと関わってきたからこそ、今のあなたがいると思うの。
そしてこの先も絶えず、あなたは魅力的になっていくんだと思うなぁ。
だから、あなたの魅力を全部知り尽くそうなんて生きてるうちには到底できないんだろうし、むしろ、「できる」と思うなんて失礼な気がする。あなたはそんなにも魅力的なんだから。
そしてこれは、あなたに限った話じゃなくて、私もそうよ。私もこんなにも、魅力的なんだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ひと1人には、たくさんの歴史や思想や文化が詰まっていると、私は思います。
互いの変化を楽しんでいきたいねと話していたけれど、当時の私は心のどこかで諦念を抱いていた気がします。

「完全に知ることなんて出来ないのに、
 どうやって繋がっていればいいんだろう。」と。

今思えば、自分の完璧主義的な部分に気づいていなかったのだと思います。



また先日、ちょっといい感じの相手と話した時のことです。
その人は私と、話す言語が違いました。
生まれた国も違いました。文化も違いました。
まさに、「ちがう星からきた人」のようでした。
そんな彼から「どんな人がタイプなの?」と聞かれた時、堂々と「好きになった人がタイプ!」と答えたら、彼は少し困惑してました。
「どういうこと?😂どんな人を好きになるの?」

うーん…知性的で……洗練されてて………?
どの言葉もしっくりきませんでした。
こう伝えました。

「どんな人にも、その人にしかない唯一無二の価値があって、それは誰とも比べるべきじゃない。ひとりひとりがユニークな存在だから、私は私の感情を約束することはできないな。」

私が抱いた感情の責任を取ることはできても、
私が抱く感情を約束することはできない。

そんな気づきを得ながら、
(昔お付き合いしてた人にもそんな風に話したなぁ、これは私の信念なんだろうなあ。)と
自分の芯に再び触れ直していました。


そしてこの時。

言語も文化もちがう彼と話していた時、
ラブ・ランゲージのことを思い出しました。

愛を伝える言語(love language)には5種類あります。
①スキンシップ
②プレゼント
③一緒に過ごす時間
④肯定的な言葉
⑤相手を思い遣ったサービス行動

詳しい説明はここでは省きますが、必ずしも全員がこの5種類を好むとはいえません。
例えば、私はこの中ならプレゼントにはあまり拘りません。恋愛初期の頃はスキンシップが苦手だったけれど、経験を経たいまは1番好きかとしれないとも感じている。
こんな風に、変化することもあります。

自分の話せる言葉が、相手に通じるとは限らない。
自分にとっての常識が、相手にとってそうとは限らない。
自分にとっての愛情表現が、相手に必ず愛情を伝えるとは限らない。
だってみんな、「ちがう星からきた人」なのだから。

言語も文化もちがう彼と話していて、そう感じました。
誰か忘れたけれど、
「恋愛とは異文化交流である」と言ってたのを思い出しました。

私たちは互いを理解し合うことができないからこそ、
相手の立場に想いを巡らせようとする姿勢、
相手を理解しようという姿勢を忘れ去ることがなければ、
つながり続けることができるのかもしれない。
「分かり合えない」ということを知ってはじめて、「分かり合おう」というスタートラインに立つのかもしれない。

そして、使えるラブランゲージが、言語が豊かになればなるほど、末長くつながり続けることができるのかもしれないし、相手や状況に合わせて取捨選択できるのかもしれない。
相手の文化を、相手なりのやさしさを、相手なりの愛の形を、受けとめることができるようになるのかもしれない。

同じ人間だからこそ、みんながちがう。

完璧に理解することを一度明らめたからこそ、
それを「限界」と捉えるのではなく「前提」とすることができるようになった。
そういう、自分の変化を感じ取ることができる名言でした。

お腹すいたのでオムライス食べます( ◜ᴗ◝)

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