見出し画像

透明人間

スタジオポノックの短編アニメ「透明人間」をHuluで見ました。

13分という短い尺のこの作品は何を伝えたかったのか気になったので、あらすじを見ずに試し見してみました。

このアニメが一体何を伝えたかったのか、簡単なあらすじと私なりの解釈を加え述べていきたいと思います。

空気のような存在の透明人間

オモリがないと浮いてしまう透明人間は、目には見えない空気と同等かのよう。
でもこの世に存在しているのは確か。

会社に行ってもコンビニに行っても、誰にも自分の存在に気づいてくれない。自己の存在無価値を思い知らされ、心が無になりオモリとして手に持っていた消化器を海に投げつけてしまう。しかしふと我にかえり自己の存在消失への恐怖から思いとどまり消化器を拾いに戻るも拾えず空に浮き、空飛ぶ気球に一命を助けられ難を逃れた。

雨の中川沿いの橋の下で落ち込んでいると、犬を連れた老人が透明人間に近づき声をかけ、パンをくれた。

その時、自分の存在に気付いてくれた透明人間は胸が熱くなりながらパンを食べたのだ。きっと涙が出るくらい美味しかっただろう。

だか事件はそのあとすぐに起きた。

赤ちゃんが乗ったベビーカーが神社の階段から落ち、道路を走るトラックに轢かれてしまいそうなのを目撃した。

透明人間はすぐさまバイクに乗り、トラックを追い抜かし身を削りながらも赤ちゃんを守り抜いた。

赤ちゃんを助け笑顔をもらった透明人間は、自己の存在価値を認められ生きる希望を持ったシーンでこの作品は終了した。

実社会にも存在しえる透明人間


都会の荒波に飲まれていると、時折自分の存在を見失ってしまいそうな時があり、それを透明人間として描写しているのだろう。

仕事でうまくいかない。プライベートも充実していない。
なにしてんだ自分。周りを見ているとみんな楽しそうな顔をして笑ってる姿を見ると、自分はまるで存在していないんじゃないかと錯覚さえ覚えた時があった。

まさにそれが透明人間なのかなと私は思う。

無力の自分だとしても、人の役にたつことは出来る。

微力でも少しずつ力を付けて自分の存在価値をあげて生きていく。

13分の短編作品で解釈は人それぞれですが、どん底から一筋の光が見えたかのような、そんな作品でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?