花束みたいな恋は幸せなのだろうか①

菅田将暉と有村架純。この2人の名前を聞いて何を思うかは世代によって変わるだろう。かくいう私の印象は「まちがいをさがす人」と「雅ちゃん」であった。が、そんな印象は1本の映画との出会いで大きく変わることとなった。その映画こそが、今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの2人が主演した映画『花束みたいな恋をした』である。

公開前の特報では狭い風呂に入ったイチャつく2人が映っており、クソみたいな恋愛映画なのだろうと思い込んでいた。公開直後にブランチとか出ていた時も「こんなスイーツ(笑)が観るような映画」と鼻から変な先入観を持っていた。ちなみに、本当に2人がブランチに出て宣伝していたかは定かではない。ブランチという情報バラエティ番組は私の中では絶妙に交わることのない層が観ているというカテゴリに入っており、当初映画に抱いていた印象と近かったため今回は同列に列挙させて頂いた。ご容赦頂きたい。

話を戻そう。こんなに鼻で笑っていた映画なのだが忘れてはいけないことがある。そう、何を隠そう本作の脚本は『カルテット』で知られる坂元裕二なのだ。カルテットについては別の機会で想いをまとめるとして、坂元裕二が令和の時代に描く20代の恋愛が無性に気になった。気になって仕方がなくなり、結局は1日悩んで公開直後に定価で映画のチケットを買っていたのである。

映画館への足取りは軽かった。2月上旬の土曜日で天気も快晴、楽しみが抑えきれず早起きをして隣駅の映画館まで20分かけて向かったのである。映画館へ入ると客層にカップルが多いのが気になったが、私は1人で自らが嬉々として選んだ指定席へと向かった。映画の考察はネタバレを含むため割愛する。②でネタバレ込みの記事を書こうと思う。いや、書かないともはや自分の中だけで消化することが出来ないくらい感じることが多い映画だった。館内では泣いている人の啜り泣く声もしたが、私は全く泣かなかった。が、それは感動しなかったということではなく、自分がどんな青春を送ったかで観る人の感じ方が変わる映画と言える。この記事を書く私は30代前半のサラリーマンで、『桐島、部活やめるってよ』や『(500)日のサマー』を観て感動した世代である。その中でも私は大学を卒業するまで彼女が出来なかったのだ。まともな青春の定義が不明だが、いわゆる恋愛をして別れて別の恋をして〜〜 みたいなことをまともな青春と定義するのであれば、私は間違いなくまともな青春を送っていない部類に入ると胸を張れる。

この映画は日常を描いていた。その日常は、まともな青春を送ってこなかった自分に投影できなくとも、クラスにいた友達や電車の向かいの席に座っている人、カフェの斜め向かいの席で文庫本を読んでいる人がいれば「この人はこんな恋愛を送ったのかもしれない」と思うような絶妙な距離感の日常がそこにはあった。

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