補足とか色々

どうも小梅太夫似の書き手です。このまえ知り合いに「背が高いから筋肉つければスラッとしてかっこよくなるよ」と言われました。これでも筋トレ毎日してるんだぜ?チクショ-----

(社内恋愛からの結婚・二、三ヶ月のダイエットビフォーアフター・ブスでも笑顔なら彼氏ができる)の三点がいまだに信じられないでいます。選ばれし者だけが掴むことの出来る成功だと本気で信じています。それと男性は筋トレがすぐに筋肉に反映されるの死ぬほど羨ましいです。私は人差し指よりも薬指が長いので男性ホルモン(?)が多いはずなのですが、なぜでしょう。ちょっと足を揃えて変化の具合を調べてたのですがなんだか少し細くなってる気がして筋肉が着いたのかと思っていたら気のせいでした。本当どうすればいいんだろうね。

食生活の方は一日二食で夜はコンビニです。コロナの外出自粛期間から気分が落ち込み、筋トレでさらに落ち込み結果食へのこだわりがなくなりました。なくなったというよりは食べずにいることで成果を見出そうとしていたのかもしれません。ただ馴れとは恐ろしいもので量を食べなくても平気になる。無心で胃袋に食べ物を詰め始める。これが果たして良いことなのか分からない。ひとつ言えることは食事の楽しみや食べることへの幸福感を失ってまでダイエットをしたいのかという疑問がわいたこと。

あとお金を払ってまでジムに通って変わらなかったら私は血反吐を吐きながら室内を練り歩く自信があります。でもきっと初日から筋肉痛になるほどやるらしいのでストレスで死ぬが先ですかね。嫌いなことにお金を払うほどすぐに変わりたいと思っていない証。自分に甘いですから。

結果が出ないことにやる気をなくして筋トレを適当にすると体を壊すらしいです。なんなんですかね。少しでも変わったところが見つかれば成功体験になるのに。『筋トレをしていれば必ず違うところが出てきます』系の言葉も信じられない。マラソン大会ではいつも置いていかれる側でしたので一緒に頑張る気力がわかない。どんどんと追い詰められる心。背も高いしデブだし肩幅広いし親にも外見を褒められた記憶が無いし足りないものばかりが集まると人として生まれたことを後悔することになる。日本では受け入れられないけれど世界に行けばもしかすると私は標準体型なのかもしれない。そんなことあるか。

たとえば勉強もできる子と受験まで同じ時間勉強したとしても差が出てくる。元々の記憶容量が少ない私は倍の時間をテスト勉強に当てないといけない。一教科ならまだしも得意分野が国語だけなので覚えきれなくて大変だった。他人と比べると惨めになることはわかっているけれど普段不真面目な友人達がノートに書いて歴史を覚えて良い点数だった時は心の中がグチャグチャだった。筋トレもダイエットも比べたら自分が不幸になることはわかっているけれど一人で進める以上調べなくてはならないのであって…

仕事も筋トレも底辺すぎて誰にも褒めてもらえず上手くいかないことばかりだけれどもかろうじて好きな趣味を長年続けているために救われている気がする。趣味の方はプロをめざしているわけではないので必死にならなくても適度に力を抜いて進めることができている。やっぱり筋トレダイエットは嫌だからこんなにもストレスが溜まるのだろう。今は体作りだと割り切るしかない。

来年の夏までに、早ければ冬にと始めた筋トレ。サイズダウンはもはや痩せるための努力を否定しないための幻想なのではないかと思う。そもそもどの男性も見た目から判断するということが私を死に至らしめる原因。一度くらい恋をしてなどという幻想は早めに捨てよう。誰かに愛されるために自分を磨くことが変にプライドの高い私はどうしても納得出来ず、かといって等身大の自分を愛して欲しいなど烏滸がましい気持ちももちあわせてはいない。友人達は化粧をして女として磨きをかけている。たとえ意識していなくても魅力が増していることに変わりはない。別に周りの目は気にしないと生きてきたけれどこんなにも女であることが苦しいのなら生まれてこなければ良かったとさえ思っている。化粧が映える人には小梅太夫の気持ちがわからないのだ。