「障害」と私の立ち位置
今日は私の身の回りで起きたことからふと思ったことを深めようと、「障害」と自分の立ち位置について書きます。
前置きとして言わなければならないことがあります。私は、なんらかの「障害」を医学的には認められていない、いわゆる「健常者」です。
最近、私の所属する大学内において、障害を持つ人たちが、自助によってお互い支え合っていこうという趣旨の活動があると聞き及びました。その中には私の友人や知り合いも含まれているので、「参加したいなぁ。友達と同じ集まりに入れたら楽しいだろうなぁ。」等と思ったものです。
しかし、私は参加資格が無いのではないか、と思いいたりました。そう、私は前述した通り「障害」を持たないとされているのです。これでは参加の要件を満たさないなぁと気づき、私は参加に名乗りを上げる事はありませんでした。
いえ、実はもう一つ道が残されていたのです。それはいわゆる「健常者」として、参加者達のサポート役になるというものです。妙案だと思いました。友達と会えて、彼らのサポートも出来る。これなら問題無いだろう、と。ところがこの考えには欠けた所がありました。私のこの考えでは「自助によって」活動するという彼らの理念に反しているのです。私が彼らのグループに土足で上がり、さも救世主であるかのような振る舞いをする事は彼らのポリシーに反するばかりか甚だ失礼な態度をとることになってしまいます。私は泣く泣く引き下がりました。
「障害」を認められた人に対し、「障害」を認められていない人は果たしてどのような態度を取るべきなのでしょうか。「誰にでも分け隔てなく接するのが当然だ。このような問い自体、差別の意識が根底にある」とのお叱りを受けようということは覚悟しています。しかし、私は自らの身の周りで起きた事象を思い返す
につけ、このことを考えずにはいられなかったのです。
考えられる態度の例として、私は3つ挙げることにします。なお、「差別的な態度を取る」は論外であるため、ここでは取り上げません。
①いわゆる健常者と全く同じ
差別をしないと言うことは、いわゆる「健常者」と同じように扱うことであるという文理解釈を行った上で取られがちな態度です。一見平等や公平が保たれているかのように見えますが、落とし穴の多い解になります。それは、車椅子を使わなければ移動が困難な人に階段を上らせることや、発達障害によってスケジュール立てや起床、集中力の維持が困難な人に「気合で何とかしろ」と言い放つことを想起したならば十分ご理解頂けると思います。
②「障害」を理由に身の回りの全てをサポートしてあげる
世話焼きな人がついついこの態度を取ってしまうことは、気持ちの面では責めがたい所もあるのですが、これは相手の意思を十分に尊重出来ない、「障害」を持つ人の自立に貢献出来ない恐れがあります。頼んでも居ないのにモーニングコールを執拗にする、スケジュールを代わりに立ててあげるなどといった行為は、たとえ100%の善意からであったとしても、当人にとって望ましい物であるとは限りません。私は特にこうした態度をとることに反対しています。
③「障害」を持っていることを理解した上で、相手の意思を尊重し、手を貸しすぎず、しかし見放さずに付き合う
いかにもこれが答えであるかのような誘導をする選択肢を用意しました。この選択肢について、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか。良いでしょうか、大変でしょうか、優等生の回答だと思われた方もいるかもしれません。
「障害」を持つ人と、適切な距離感を持ちながら生活することは、ご想像以上に大変なことなのです。生まれ持った、もしくは後天的に付与された「障害」が原因にある相手のミスを責める事は、いわゆる「健常者」には出来ません。相手の苦悩を知る由も無いいわゆる「健常者」は、相手との常識の格差を目の当たりにしながらも、相手の意思をしっかりと聞き、手を貸す、見守る(この表現自体に見下しの要素が入る)、普通に接するなどの態度の切り替えをすること等、いわゆる「健常者」同士の交流以上に繊細な技術と社会的責任が要求されます。
「障害」を持つ人が、いわゆる「健常者」に対して抱く感覚というものが、私には分かりません。わかったフリをするのでなく、少しだけ切り込んで見たい。羨ましいと思うのでしょうか、生まれた時から「障害」を持っているのであれば他の人がどうであろうと気にしないのでしょうか、それともいわゆる「健常者」を疎ましく思うのでしょうか。このいずれも私の空想でしかありません。しかし、私が始めに述べた事象においては「関わって欲しくは無い。自分たちの事は自分たちでやるという決意を我々は持っている。」というメッセージを何処かに感じてしまったのです。当人達の思うところと全く離れているのであれば申し訳なく思います。ただ、私は単に「障害」というものが本当に私と彼らの間に『障害』を作り、私が疎外されてしまったように感じたのです。
ダラダラと書き綴りました。こうした話題は大学に入ってから急激に私の身近なものとなったので、その対応たるや手探りや手探りと言ったところでございます。その中で感じた事を一纏めしようかと踏み出した次第です。「障害」との向き合い方については、考えたことをまたこのようにnoteにしていけたらと思います。
感想やご意見等あればよろしくお願い致します。
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