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呪いをくるくるポイ

忘れてしまいたいのにふとしたタイミングで忘れられない言葉がある。
あの時あぁ言われて悔しかったことや悲しかったこと。
思い返すといつもその場ではすぐに何も言えなくて後々「そんなんじゃないのに」という思いと共に蘇ってしまう言葉。


濃淡は時間と共に色あせてしまったとしても何となく残ってしまうその言葉たちは思い返すと次のステップへのエンジンに切り替わってたりしてるから100%悪とかではないとわかりつつも、それでも思い返したときには時折きゅーっと胸が締め付けられる。


だって「そんなんじゃないのに」が私の心の叫びだから。


そんなきゅーと胸が締め付けられる言葉を思い返したりしていた昨日、こんなブログを見つけた。

祝いの言葉というのは、「立ち去る準備のある言葉」だと考えます。
それに対して、呪い側の言葉は「そこに残るための言葉」なんじゃないか。
「あの人にキツく言われたけど、ちょっとこんなんじゃ終われないと思えた!」
と感じたら、それは言った側の人がちゃんとその叱責を終えた後に「ちゃんとひとり立ちしていきなよ」と応援してくれている言葉であった可能性が高い。
でも、言われたことがずっと残って気持ち悪さを感じるというのは、立ち去っていない、そのまま影響力を残したいという呪いの言葉である可能性が高い。

https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/entry-12580914475.html

あぁそういうことか。
胸がきゅーっと締め付けられるときというのは自分の心の中に相手ないし相手の言葉が占領しようとする瞬間なんだろう。


相手を言い負かすでもなく、相手に言い返すでもないけれど自分の想いを口にできなかったその瞬間に相手の言葉と共に今もその場から動けずにいる私がいるのかもしれない。


そんな呪いの瞬間にとらわれている自分自身を辛いと思うこともあるし苦しいと思うこともあるけれどいつしか別の感情もわいてくる。


なんか腹立つな


私の場合はこのなんか腹立つなが呪いを解呪する術式かもしれない。
(あえて中二病的な表現あえてしてますので笑ってくださいね)


呪いを認知したらなんか腹立つなでくるくるにまとめてポイして自分のお庭で心地よくTeaでも飲みながら今と未来へ思いをはせる。
くらいがきっとちょうどいいんだろうしそんな風にできたら少しずつ呪いから祝いに変わっていくかもしれない。



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