見出し画像

NYで体験したもの

在米暦約20年で、初めて東海岸に来ました。NYCと言えば、Friends好きならば行きたいセントラルパークにも行ってきました!

NYは映画やテレビでよく見かけます。そうすると色んな所がものすごく近くに、徒歩数分であるような気がします。でも実際行ってみると、色んな物が遠い!それを体験したばかりなのに、地図を見ると、え、エンパイアーステートビルって目と鼻の先だったんだ!とか。タイムズスクエアもすぐその横じゃん!とか。実際見れば自由の女神は遠いし、グラウンドゼロの周りは高かった。。。

これは錯覚ゲームと一緒。実は大小なんてものは、距離も空間も錯覚からできていること。お金の価値も善悪の価値も全てそう。そのサイズを自由自在に動かしているのは実は自分なのです。

私自身をマンハッタンの真ん中に置くか、それとも天空からマンハッタンを見下ろすか。同じものを見ているのに、違うもののように見える。

この視点は、1週間ともに過ごした同僚との話からも思っていたのです。大会社の上からの視点。そのうちの一つの小さな部署に所属する一個人の視点。

私はこの度、この視点のギアを上を見上げるのではなく、上から眺めるように変えていこうと思っています。つまり、上の人の視点や思考をする、ということです。それまではただただ、マネージメントにつくとか上司になるとか、ボスになるといった『威張る』ための目的ではなく、上からの視点からみるからできる、一社員行動をしていこうと思ったのです。

数年後が楽しみですな♡

限界の定義:限界とは自分が作ったものであるから、自分が外すことができる。自己完結し、学ぶべきことを学び、あとはそれを当たり前のものにシフトさせれば良い。これまた時間はかかる。でもやればやるほど自動操縦になっていく。そうしていつか、当たり前が増えていく。何かを得るためには何かを手放せというが、得る制限すら自分が作っている。得たものを、『得たもの』としていつまでも大事にしているから、手放さねばならなくなる。得たものが身となり肉となり、自分の一部となれば、それはもう得たものではなく自分なのだから、また別のものを得ればいい。得たことに満足するな。それをしている間は制限は絶対に外せない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?