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メタモルフォーゼの時代かもしれない

幼虫が蛹になって、蝶になる。メタモルフォーゼと言えば一番使われる例えですよね。

メタモルフォーゼでGoogleさんにお伺いすると、変態と出てきてちょっと色んな意味でウケちゃいました、コズエです。こんにちは。

この週末、中学の同窓会があるんだそうです。そうして徐々にSNSで繋がって思い出す面々。遠い『あの頃』をお互い思い出す。そして各々がその型になんとなくハマっていってしまう。あの時嫌いな人はやはり嫌いで、あの時バカにしていた人はやっぱりバカにしてしまう。それだから見栄も張りたくなる、格好も付けたくなる。

でもこれは、学生時代のことばかりじゃ無いですね。例えばコメディアンや芸人、漫才師が、本を書いたり絵を描いたり、名優の仲間入りしてオスカーをもらったり。そんな時に『コメディアン出身なのに』『漫才師で売れたくせに』って言ってませんか?

例えばその時、コメディアンに需要があり、自分に才能があった。そこで名前が売れて、本来やりたかった俳優の仕事が来た。徐々にこなしたら、名優レベルになった。その変化がメタモルフォーゼだとしたら、『幼虫が蝶になりやがって』とは誰も言わない。立派になったね、綺麗だね、と讃えるだろう。それが何故人間同士では出来ないのか?

それよりも

何故、私がしてこなかったのか?

周りの人の行動は私の写し鏡。私自身も言うけれど、周りから同じような声も聞こえる。ということは、私はかなりの数、『あの人は〜〜だったくせに』と言ったり思ったりしているということだ。それで誰が一番損しているのかといえば、絶対的に私自身、なのだ。私が変わりたいと思ってないから、変わってないのではない。どんなに変化をしても、したくても、こうやって言ってる自分がいるんだ。

あんた、スタートは◯◯だったくせに

と。

もっとメタモルフォーゼを楽しもう。讃えよう。

そう思っていたら、テレビから流れてくるセリフ。『過去は過去だ。今が、今なんだ。今こそが皆の記憶に残る、アナタの最後の戦いなのだ。』『(周りを見渡して)彼らにはリーダーが必要だな』『そうだ。リーダーだ。リーダーになれ』(ナイト ミュージアム 2)

自分の変化を容認するために、周りの変化を容認しよう。

今の定義:今、この時を生きるからこそ、過去も未来も輝く。どんどん変化し続けよう。今は過去の積み重ねでもなければ、未来への通過点なだけではない。今を生きるからこそ、過去も未来も輝くのだ。今をただの通過点にするな。そして今まで導いてくれた過去が、今とは全く違ったとしても、それを否定したり批判したり、蔑む必要はない。ただ単に、私がメタモルフォーゼしただけなのだから。否定する必要なんか全く無い。でもそこに縛られる必要も全く無いのだ。


素材:写真ACより



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