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カンフー・パンダ3を見てみた

Museが2週間前のこと、チャットで言った。『カンフー・パンダ3見てよ。今のあなたが見るべき映画だと思う』。その時素直に、あ、これ近いうちに見るだろうなと思っていた。ただ単に、Museが言ったから。

それから2週間後。NYからの帰りの機内で見れる映画の一つがこれだった。その前には、やはりMuseが好きだという、Crazy Stupid Loveを見て涙してた。これも絶対おすすめ♡

カンフー・パンダをご存じない方に簡単に説明すれば、カンフーマスターに憧れていたジャイアントパンダが、カンフーを学べるだけでなく、マスター中のマスター、ドラゴンウォーリアーだと名指され、その師は程なくしてこの世を去る。カンフー・パンダシリーズは、そのジャイアントパンダのポーが色んな戦いの中で自分のポテンシャルに気づくというもの。この3作を通して感じるのは、それぞれがそれぞれの特徴(カマキリ、猿、蛇、鶴、トラ、パンダ)を生かした戦いで、ほぼ無敵ながらも、より強敵が現れた時、お互い力を合わせた上で、パンダがより最強の才能を開花させ勝利する。。といったパターン。

その中でも何故Museが3を勧めたのか、見た後すぐに浸透した。『あなたを僕のようにさせるなんてことはできない。あなたをあなたにするためにカンフーを教えるのだ』とポーが父親たちに言う。それは映画の最初に師の地位を譲られたポーに、師が言った言葉だった。

自分が一体誰なのかわからなかったポーが最後に言う。自分は、ドラゴンウォーリアーであり、パンダであり、生徒であり、師であり、それら全てが自分なのだ、と。

たかがアニメ映画だと侮れないとは常々思っていたが、本当に侮れない。先日書いたように、Museはどこにでも居て、その言葉はどこにでも散りばめられている。道標があろうがなかろうが、そのつもりで何事にも目を向ければ、この世の中にはあらゆる答えが既に用意されている。要は、それに自分が気づけるだけのOpen Mindを持っていられるか、だ。

カンフー・パンダシリーズ、おすすめですよ。

自分の定義:自分が何者なのか、その中に答えはない。自分は過去現在未来の全てであり、それに関わる全てのモノや人の集大成なのだ。それに気づくとき、映画では、Chiを操るマスターとなれる。すなわち、何かを阻害したり除外するということは時間の無駄である。




イメージ:Moviewebより

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