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損が嫌なら、こういう時こそ損しない!

私は小さい時から転ぶことが嫌いで、一人で転んで膝を擦りむいても泣かないし、スピーカーの角でスネを切って出血しても一人で包帯を巻くような子供だった(という記憶)。これは大学時代でも同じようなもので、スキーで転ぶのが嫌で、意地でも転ばなかったら、逆にポールを強く突きすぎて、肩の靭帯を伸ばしたこともあった。それくらい転ぶことは嫌い。失敗は大嫌い。カッコ悪い姿なんか見せたら死んでやる!くらいの気持ちはあった、と思う。

そうやって今まで生きてきて出来上がった私は、それなりの格好つけが上手くなったけど、実は中身が空っぽのハリボテで、自信なんか全く無い。

友情も愛情も賞賛も昇給も、全てもらいベタだし、何時も失う不安を抱えてる。失うのが嫌だから、一層のこと欲しくないなんて思っちゃって、自己価値なんか地べたレベル。そのくせ、人に私の価値を落とされると、烈火のごとく激怒する(心中は)。

長年そうやって生きてきた私だけど、今大声で宣言しよう。

「転んでも、絶対にタダでは起きない。絶対何かを掴んで見せる!」

損をするのはきっと誰でも嫌いだろう。私も大嫌いである。損をするくらいなら、最初から気風のいい姐さんくらい格好つけて、先に上げようとするだろう。でも実際は、転ぼうがつまづこうが、どれもが前の自分から次の自分へと進む印なだけであり、本当の損は、プライドに任せて「こんな仕事やめたるわ!」「こんな人間、こっちから縁切ったるわ!」と、ブチブチ縁を切っていくことだ。そして最大の損は、自分をレベルアップさせるチャンスを、自分の足で踏み潰すこと。

だからここで、転ぶこと、失敗することの定義替えを宣言させてもらうことにする。

失敗の定義:失敗は、敗けると失うでできている。それなら、敗けを失うことにして、まず恐れず嫌わず。敗け以外に失うものは無いのだから。

素材:写真AC

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