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分かち合いの喜び【アルトス・ダトーライトクラスター】

誰かと何かを共有したり、分け合うことの喜びは、互いの親密度を深め、
豊かな気持ちにさせてくれる。

だが反対に、独占しようとする心は、一見満足感を生むかに見えても、
孤独と貧しさをなおさら味わう。

世の万物は、本来生命の共有財産であり、自分だけのものという定義は存在しない。

人は大地を分け、国をつくり、家をつくり、家畜や田畑を所有し、
時には権力の象徴として、奴隷や召使いなど、同じ人間をも所有しようとする。

今や、所有することが豊かさの象徴であるかのようだ。

どれほど高額であろうと、金銭で得たものなど、所詮は自分で何かを生み出すクリエイティブにかなうはずもない。

この石は告げる。

人よ、所有することにばかり執着せず、与えることにも執着せよと…

貴方が淋しさや虚しさを感じるのは、相手に何も与えていないからかもしれない。

想像してみよ。
腹を空かせた痩せた子どもが貴方に近づいてきたとする。
貴方の手には、十分な大きさのパンがある。

今の貴方ならもちろん、そのパンを子どもに分け与えるだろう。
が、もしも極限状態にあったならどうだろうか。

家も金も明日の保証も無く、やっと久々に手に入れたパンだったとしたら?
自分にも、同じように腹を空かせた子供がいたとしたら?

今と同じように快く、分け与えることができるだろうか?
人はどこまでも自分がかわいいもの。
真に我欲を捨てることなどできないのかもしれない。

だがそれでいい。
全て与える必要はない。

少なくとも自分も含め、皆で分け合おうとする心さえあれば、人は豊かで幸せになれる。

逆に言えば、貴方が愛されている人ならば、与える豊かさを持った人であるということだ。


この不思議な石を持つと、誰かに何かを与えたくなる。
しかしどんなに与えても、枯渇することなどないのである。

アルトス・ダトーライトクラスター

Yumiko Ino
なぜか不思議な魅力を感じる石、ダトーライト。その名はギリシャ語で分割を表し、エルダーはこの石にアルトスという名を付けました。これもギリシャ語なのですが、意味は意外にもパン(食べ物)のことなのです。ひとつのものを分け合って食べる、というイメージに、一番近いのがパンなのかもしれませんね。

今の時代、何かを分け合うという行為は少なくなってきました。個々で好きなものを買い、食べたい時にそれぞれで食べる。そういう自由な個人主義みたいなものが、豊かな時代の象徴でもあるかのように。でも一方では、皆でひとつの鍋をつつくとか、一軒家を誰かとシェアリングするとか、そういったことに価値観を見出す人も、少なくはありません。誰かと何かを共有し、共に知恵を出し合って築き上げていくことの喜び。それはたった一人で何かを成し遂げることの達成感や偉大さには届かないかもしれない。

でも一人よりも二人の方が、遥かに大きな喜びがあるような気がしませんか?美味しいパンを見つけたら、大好きな誰かにも食べさせてあげたいと思うでしょう。この石は、分かち合うことの喜びを教え、豊かさと幸せをもたらしてくれる。そんな素敵な石なのです。

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