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c'mon c'monという映画を見てきたノリで一人で録音した

試しに録音してみた

失敗をできるだけ試してみたいという意味で録音して公開してます。はたして面白いのかはわからないので試してます。
話しているあらすじは
「映画を見て対話したい欲があると気づいた」
「大丈夫じゃない状態を人にみせるのが怖い」
「なんとか、こじつけで対話する言い訳がほしい」

映画を見て対話したい欲があると気づいた


「c'mon c'mon」っていう映画を見てきたんですが、ジョーカーで有名なホアキン・フェニックスが主演の映画で、あらすじはホアキンがラジオをつくる仕事をしている人で、ある時家庭の状況が不安定な甥をあずかるというものです。
ホアキンが映画の中で仕事柄さまざまなこどもたちにインタビューをしていて、例えば「スーパーパワーをもったら何をしたいですか」「あなたにとって未来は明るいですか」とか。そういうインタビューを見ていていて僕はやっぱり人の個人的な問題を深く知りたい欲求、対話したいという欲があると再認識しました。

大丈夫じゃない状態を人にみせるのが怖い

映画のシーンで甥が自分の家族が不安定な状況にあることをなんとなくわかり、ホアキンにこんな不安をもった僕でも大事にしてくれるか試すためにホアキンを拒絶するシーンがあります。ホアキンは甥と対話しながら最終的に「君はいま安全じゃない場所にいるから大丈夫じゃないのは自然だ」というような発言をします。このシーンを僕は聞いていて、僕自身も大丈夫じゃない状況があってなんとか誤魔化そうとして結局無理がでて周りにあたったり、あたりたくなくてコミュニティから消えてみたりした経験があるし最近でもあります。たまに鬱のような状況になるのもそれが原因に近い気もします。
さらに僕は大丈夫じゃない状況、とくにいらだったり不安だったりで人にあたるのが怖いし、それを見られるのが特に怖いっていうのも映画をみながら自分を理解できました。これもどっから来ていたかはなんとなくわかっていて父と母同士や個人でもいらだったり泣きわめいていたりしたときを子供のときに見たことがあり、それはすごく怖くて自分はうまく表現できずにここまできた気がします。でも、一日中一緒に暮らしていれば絶対人間、いらだつことはあるし、個人ではどうしようもない家族が死ぬようなライフイベントだったり、経済が傾くとからコロナが流行るとか世の中の状況がかわったり絶対的に人間がいらだったり不安だったりすることはあるはずです。
映画の中で不安を表現することはタブーだと思っていたことが人間のごく自然な表現だと認識できたのはすごくよかったです。

なんとか、こじつけで対話する言い訳がほしい

人がいらだったり不安だったりを表現することはごく自然であることがわかったと同時に、その感情の深い部分を知りたい欲求が出てきました。なんとなく人と関わりをさけたかったのはそのタブーにふれてしまう気がして気が引けていたからというのもはっきりわかったからというのもその理由です。
個人的な「大丈夫じゃないこと」をもっと知りたいし、それが何かにあたるような悪い表現ではなくてごく自然なことだというような見方に変えられないかとも思いました。そこをうまく表現できるような対談という企画なのかそのような簡単に社会実験できるようなアプリなのか自分ができそうなことに今後チャレンジできると嬉しいなと思いました。

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