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2021/12/24-31 gall diary

ライブ3 記録1 観ライブ1 観展示2 散歩1

初めて泊まる場所でキックボードを借りて毎日閉店間際の銭湯に駆け込んだ、帰りに雪がちらついた日は却って爽やかな気分になった。お風呂に入れる時間が決まっていると生活リズムが安定することがわかった。キックボードは日に日に上達した。

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やったライブ

12/26 at Permian 落合康介、柳沢耕吉

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12/27 at ftarri 柳沢耕吉、岡千穂、宮坂遼太郎
この3人は2022年4月23日(土)東北沢のOTOOTOでまたやります。

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12/28 at Thelonious 柳沢耕吉、奥住大輔

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(写真: 田辺知之)

セットリスト
1st
Unclaimed Freight (Ethan Iverson)
Crucificado (Dave Burrell)
Pannonica (Thelonious Monk)
Lady Bird (Tadd Dameron)
Day Dream (Billy Strayhorn)
The Feeling of Jazz (Duke Ellington)

2nd
Rain Carnation (奥住)
Coffee Winter (奥住)
SL-JB (柳沢)
Bound 2 (Dylan Maida)
畦道の歌 (柳沢)
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記録はアキバタマビの展示「粒光」で行われ、youtubeで公開されました。
私は弾きっぱなしで、録音録画編集などは林さんチームに任せきりでした。お世話になりました。

林暢彦さんは僕が山で演奏してることを知っていて(というか録音を毎回林さんに整音していただいており)、声をかけてくださいました。林さんはメディアアートの側から、僕は即興演奏の側から、インタラクションについての考えを刺激し合う部分があり特に良かった。「山でやるのと同じように」ということでそのようにやってみました、カメラは生き物の視線で緊張しました。(余談、山での演奏を始めて直面した事実は、簡潔に言えば、耳は音楽をするための器官ではない、だった。)
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観たライブ
12/30 at ftarri
「The Wug #3」
池田拓実(作曲、ピアニカ)
森下雄介(トランペット、ピアニカ)
しばてつ(ピアノ、ピアニカ)

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池田さんの音楽的手続きシリーズ、第3回目。「The Wug #2」が録音されたアルバム『Musical Procedure』(詳細下記)のレコ発という位置だったが、全て新作のプログラム。
池田さんは音楽的手続きを作曲、即興に対する第三の地平として既に多様な作品を書かれている。今回は4作、解説文によると歴史上発見/発明された或る数学や文字を元にしているものもあるが、それらは本来の用途(なんて危うい言葉だろう)を離れ(しかし同時にそれらでなくてはならないように)奏者と未然の音楽を橋渡しする。『melodica trio』では3人が1台のパソコンを囲み画面に表示される(観客には見えない)ビデオスコアによりメロディカを演奏、整然とした陣形だが音の現場は座ってじっと聴くのが勿体なく感じるほど生々しかった。
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『Musical Procedure』
池田さん、ピアノの遠藤ふみ氏と共に私はギター演奏で参加しました。録音、ミックス、マスタリングも池田さんが手掛けており、私は弾きっぱなしでしたがフルアコースティックギターの録音として描いていた形にしていただき感謝です。デザインも素敵。

2022年2月27日、ftarri classicalから発売
ftarri ホームページ
https://www.ftarri.com/ftarriclassical/663/index-j.html
bandcamp
https://ftarricl.bandcamp.com/album/musical-procedure

そしてなんと『Musical Procedure』レコ発第2弾が3月13日に行われるそうです、また全て新作のようで驚愕です。興味ある方は是非。
https://m.facebook.com/events/367487184808336
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観た展示2つ
東京都現代美術館『クリスチャン・マークレー/トランスレーティング[翻訳する]』
Christian Marclayのことはそれまで知らず、自分が気にしているミュージシャンやアーティストがこの展示を気にしていたので観に行った。(事前にDommuneの特集を観たけどピンとこず、一番共感したのは「耳(聴覚)を大切に」というMarclay氏の発言だった。)
ビデオカルテットの暴力性とそれ以降の展示スペースの静けさ(スコアやオノマトペが音として展示されていないこと)が引っかかったものの、何か浅いところを過ぎてしまったような感覚だった。「(消費して)楽しむ」だけではなさそうなのに、ギミック以上のものを読み取れず(コラージュされたレコード、改変されたレコードジャケットの作品など)。最近(於2月中旬)池田武史さんが公開した展示の評が非常に助けになりました。
https://note.com/noodle_vomit/n/nec1f3e647cac
"ここでの問題は変換という事実よりも、これにかかる恣意性だ"
"彼の作品は良くも悪くも「ステレオタイプな」ポップカルチャーとしての音楽、漫画や映画などを使用することで、それらのメディアがいかに、私達の視聴覚体験の器=型=パターン化として寄与しているかを晒していく"
ポップカルチャーに疎い自分が型を認識していなかったわけで、他のものに置き換えるとよくわかった、問題の視野は展示で扱われていたメディアや音楽以外にも拡がっていく。
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green thanks supply『Ore』
陶芸家の植田佳奈さんの展示、会場は観葉植物店で周辺の雰囲気が好きだった。京島。
植田さんと自然の捉え方(マークレー展の翻訳の恣意性に通じる)について話すなど。植田さんの作品は記録物に見えるところがあり惹かれます、陶芸を見て触ることで、それが作られた時間を遡る体験をこれまでしたことがなかった。
この展示を観た後に林さんの記録を行い、キックボードで銭湯に駆け込み、はち切れんばかりの1日だった。
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友人との散歩、井の頭公園に詳しい友人に公園を案内され神田川の起点を見たりした。池はここまで、川はここから。今回の滞在では隅田川を至近距離で眺めたり(夜中で何か巨大な両生類が泳いでそうで怖かった)、川に縁があった。井の頭公園に行くのは3度目で、毎回違う方角から日が暮れる頃に入っているため諸々の位置関係が未だよくわかっていない。
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滞在後半でお世話になった先輩が短歌、俳句、川柳に詳しく、勧めてもらった瀬戸夏子さんの本を31日帰りのバスの中で注文した。amazon primeでしっかり翌日元旦に届き、ポストの中で冷えきった本を取り出すと帯に "きれいな、誠実な表情ばかりして、わたしは無罪だという顔でものを書いている人間には全員吐き気がする。本書より" と書いてあった。射程が気になり読み進めているが、まだその箇所には至っていない。
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余談
Permianのライブに来てくれた、十数年ぶりに会った中高一緒の友人は、演奏する私を見て、中学の文化祭でBUMP OF CHICKENの曲を私が弾き語りしてたことを思い出したと言った。十数年が抜けているならば記憶上の接点はそうなるだろうと思った。その時の編成がギターボーカル、ギターコーラス、ボイスパーカッションだったことは覚えていなかった。初めて聴いたらしい即興演奏に対しては、これが音楽ってことでいいの?と言っていた。彼は中学が一緒だった友人をもう1人連れてきてくれて、2人とも声(いつの?)が変わっていなくて感動した。声?
「はじめに声があった」という林暢彦さんの言葉を思い出す。(林さんの作品『エコミメシス −梯子−』解説文より)


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