昔から「無理を通せば道理が引っ込む」と申しまして、記事にも書いてるけど「できないことをやろうとするな」ということ。


チャレンジ精神と無謀、捨て鉢は異なる。
これも記事にあるが、チャレンジするなら覚悟と準備が必要。
いきなり山登りするやつはいない。

また、

“デジタル情報化によって視聴者側の想像力が著しく損なわれているいまの時代”

ってことで、やっぱり視聴者を馬鹿にしてるんだなーってだけでなく、

“「想像力が欠如している」のは、視聴者側だけではない。テレビ局の企画を選定するセクションの人間も同じだ。”

ここは「あ、そうね!なるほどね!」となった。

制作側のリテラシー問題、リスクマネジメントなどもそうだと思う。
この記事では「想像力があっても未必の〜」とされているが、わたしは少し前から言っているように、いま欠けているのは想像力ではなく「思考力」なのだとおもう。
「パクったのバレたら大変なことになるかも」は分かった上で「ま、いっか、その時考えれば」みたいな浅墓さ。

ただ、わたしはこの記事でどうしても相容れない部分がある。

それは今回の事件を「不幸な」事件と位置付けているところだ。
所詮、1年前まではテレビ側の人間だっただけある、やはり痛む懐がしんどいのだろう。

だが、「不幸な」という表現は、まるで「誰も悪くない」とか「運が悪かった」というニュアンスを持つとわたしはおもう。
誰も悪くなかったんじゃない。ある意味被害者だったからといって、加害者でもあった事実が帳消しになるわけではない。
「次から気をつけましょう」で終わっても、その「次」は今回の事件に直接関係ない。

例えば、甲子園に出られなかった強豪校に「来年は頑張りましょう」と言ったところで3年生に来年は無い、そういう感じ。
テレビ側は結局「事例の一つ」程度の認識しかない。

世界でたったひとつだった命が、今はもう既に無いというのに。

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