承認欲求の話

わたしは昔から、誰かに影響を与えたい欲があり、創作でもSNSでも、わたしをどこの誰と認識するかどうかではなく、何なら次の瞬間忘れ去っても、何かがその人の中に残ったり響いたり、今は何にもなくても将来ふと思い出されたり(そしてそれによって選択を左右したり)することへの欲求が強い。
「この人の言うことだから」という受け取られ方に主体性を感じないからなんだとおもう。だから、言葉や作品の発信源がどこのだれかという背景に重きを置かれたくない。匿名ではないアカウント(この場合、コテハン含む)でもこちらとしては全然構わないのだけど、受け取る側にとってそれがノイズになってしまうってことはあるでしょ。受け取る側だけでなく、相互関係が他者の目に見える時、その観測者にも余計な情報がくっつく気がする。

例えば、いま自分があることでとても苦しんでいて、それをピンポイントで救ってくれるような金言が得られた時、それを言った人がどこかの新興宗教の人だったら?なんかそれに「そっか!」てなるのに抵抗あったりしません?(笑)また、そこで「そっか!」てなってるわたしを見た人が「こいつ、○○宗教にひっかかってる!」って思いかねない(大笑)
これは極端な例だったけど、ふつうにさ、「え、でもこの人、普段は真逆のこと言うよな」とか「あの人、○○の時は××って言ってるよ」とか、まぁまぁあるじゃないですか。
けど、言われた言葉そのものには善も悪も無く、その言葉一つで救われる瞬間や人が存在するならそれで良くない?って。
必要な嘘、優しい嘘、に近い。

前置きが長くなりましたが。

ある、比較的closedなSNS(検索して投稿内容が出てくるようなものではないってこと)で、悩み事や相談事を投稿するスレッドみたいなのがあるんですよ。
投稿自体は基本的にオープンなのですが、誰がどのように答えたか、誰も答えてないのか、そういうのは傍からは見えない。
当たり前だけど、投稿を見ても、どの悩みや質問に答えても答えなくても構わないし、出会い厨みたいなのやメンヘラ構ってちゃんや荒らしなんかはサクサクブロックできる。
細かなカテゴライズ分けは無いので「今日の夜何食べよう」から「もう○にたい」まで、アニメの事でもリアルの恋愛でも、とにかくいろいろ取り揃っている。偏ってる場合もある。悩みって言ってるけど愚痴って終わってるものもある。何でもいいのだ。

ここで、わたしは時々つるつる眺めて、たまーにアドバイスをしている。言い方アレですが、ちゃんと悩んでる人や、無駄に苦しんでる人を主に選んでいるので、ほんの少しでも「気持ちが軽くなりました!」とか反応あるとものすごくご満悦モードになる。わたしが、満たされる。返信等が全くなく、その後の動きが無い人もいる。ぜんぜん違う話を始めてる人もいる。何だってよいのだ。
個人的には、アドバイスを送った時点で勝手に愉悦モードで良い気持ちになっている。更に「ありがとう」とか言われたら「ほへあー!」である。

悩み事って、リアルもそうだけど、相談に見せかけてただ愚痴りたい、同情されたいってことも多い。自分が悪いって書き方で、「そんなことないよ!」って言われたいだけどか。
どっちかなー?って時も、気が向けばアドバイスしたりするので、返信がなければ「お求めのものではございませんでしたね!」ってなる。
逆に「コレはぜったい『自分は悪くないもん』て思ってるだろ」と思いつつアドバイスしたら「たしかに、自分のこういうところ、良くなかったです、気をつけてみます」とか返ってくることもある。なんかごめん、がんばれ…っておもったりする。
ブロックされることももちろんある(笑)おっ、元気そうでよかった!っておもう。

ちなみに、めちゃくちゃスレが過疎ってることもある。そういうときは「ウワー!みんな悩みがなくて平和だ!」って思えて気持ちが良い。

いまは新年度明けで、比較的けっこう色々取り揃ってる時期。みんな忙しいから、反応無くても「求めてなかった」とかよりふつうにしんぱいになる。くだらない悩みでもいいから、書いて、生きててくれ。
軽い気持ちのほんの小さな言葉ひとつが、深刻な傷を残すこともあるように、なんてことない一言が、追い詰められた瀬戸際を踏み止まらせたり、風穴になったり、するかもしれない。

わたしは無責任に言葉を投げるだけ。それで道を切り開くか、自らを刺すか、飯を作るかはその人次第。

正直、瀬戸際で踏み止まっている足元を掬ってしまうことだってあるとおもう。でもごめんね、その人はもう返らない。
それより、いちかばちかでも、命が続く方に作用することをわたしは願い続けたいんだよ。

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