ゲームの学び(仮原稿)


「ゲームしてて、何か将来の役に立つの? そんなことより勉強しなさい。」

※以下、ゲームとは、Switch、PS5、PC・スマホゲームなどのゲームを想定しています。

経験上、ここがもっともいろんな意見・論点が出やすいところです。

「自分の人生肯定したいよバイアス」もかかります。かくいうわたくしも、自身(今39ですが)、小学生のときはゲームが大好きで夢中にやっておりました。

それらを俯瞰して学びや将来にひきつけますと、

「スーパーロボット対戦」や「フロントミッション」、「サッカーや野球ゲームの監督モード」からは、限られたリソースの中でどのように人員配置や作戦を立てれば理想的な結果が得られるか?の戦略的思考を学んだり、(それは定期テストや受験のときに効率的な学習計画をたてるのに役立ちました)

「ドラクエ」からは、プランA・プランBをもちリスクテイクの考え方を身につけたり、派生して学校で武器屋や情報屋を営んで貨幣や経済の概念を学んだり、

「スーパーマリオ系のアイテムゲットが重要なゲーム」からは、すばやく目線を動かして自分に有利な情報をいち早く見つける力が養われ、それが大学の図書館ですばやく参考文献を発見収集することに活きたり、

「ボンバーマン」からは、常に一手二手先をよみ、迫りくる時間的なデッドから逆算して瞬時に行動をする、段取り思考が身に付いたり、

「桃鉄」からは、シンプルに日本の地理と、キングボンビーという理不尽な存在から人生とはそんなものだというケセラセラの姿勢を学んだり。。

おいおいこじつけかよ!とツッコミもいただきそうですが、マジで学びになっているなあと今振り返ると思うのです。

翻って、今の子たちの人気タイトルについて思いを巡らしますと、

たとえば「ポケモン」は、属性や進化などの概念が入っていて、このフレームワークに慣れ親しんでおくと生物学や社会学など分類やキャラ化が重要な学問にとっつきやすいと思いますし、

「マインクラフト」は、デジタルの発想や数学の立体的な思考が養われると思いますし、(マイクラ世代が建築家やプロダクトデザイナーになったとき(3Dプリンターも共進化したとき)にいったいどんな新しい建築やプロダクトが生まれるのだろうと今からワクワクします)

「フォートナイト」は、プロジェクトごとにチームを組んで声を掛け合いながらミッション達成を目指すというスタイルが、これからオンラインで世界中の仲間と、ひとどころ所属型ではなくプロジェクト型で集合離散を繰り返していく働き方とマッチすると思います。

さらに全体感でいうと、3D・4Dの空間の中で、方向感覚をもったり、他者とコミュニケーションをとったり、通貨やアイテムを交換したり、そこで存在を証明した上でなにか自己表現するというリテラシーは、メタバースやWeb3が当たり前になる世の中ではきわめて重要なリテラシーになる可能性があります。むしろ可能性大です。想像を飛躍させると、たとえば、世界の仲間と札幌に集まって飲もうぜとなったら、まず最初の話題はFortniteなど共通に体験してきたゲームの話になりそうな予感すらします。


「その夢中をいかに自分の人生にひきつけ、活かしていくか。」

うだうだと書いてしまいましたが、ゲームに対する夢中を前向きにとらえていくための要点は、自分自身のその夢中を、どう総括・振り返って、人生のあらゆる局面に転移・転用していくか、ということなのではないかと考えています。

夢中を止めることはできません。行為は止められても渇望は止められません。そうなのであれば、止めるのではなく、その夢中とどううまく付き合っていくかに発想を切り替えたほうが各所うまくいく気がしています。

師匠の言葉に、「studyの語源はstudious。これは夢中になるっていう意味なんです。」という言葉があります。個人的に大切にしている言葉です。夢中には必ず学びがあるはずという基本的態度のもと、ではどんな学びがあるのか?という問いに移行する。

夢中すぎる夢中期間に「ねえ、それってどんな学びがある?」なんて聞いたら興醒めしそうですが、ある程度冷静になったタイミングで(たとえば小5のおわりや小6のはじめとかいいタイミングかもです)、ゲーム体験から転移・転用できそうな学びを、対話の中で総括・振り返ってみるといいかもしれません。

「数あるゲームタイトルの中から、なんでそれに夢中になったんだろう?」
「そのゲームの中の、特にどんなところにグッときて夢中になっていたんだろう?」

たとえばそんな問いをするだけでも、自分の好きや特性についてお友達との関係の中で相対化できるきっかけになるかもしれません。


「実は、ゲームから広がる学びの世界があるんだ。」

そんな対話の中で、ゲームの開発者やe-sports選手に話が及べば、しめしめです。
開発者や選手とお話したときとても驚いたのですが、彼ら彼女たちの好奇心・学びのベクトルはハンパないです。

とある開発者は、世界観や設定を作り込むために宗教や神話・歴史の本をひたすら読んだり、音楽を効果的に使うために音響認知や西洋の音楽理論を学んだり、ジブリアニメのようなデフォルメした動きをゲームに取り入れるために物理演算式を特殊に改良したり、そのために流体力学をイチから学んだりということをしていました。

とある選手は、格闘ゲーム内だけでのフィードバックループでは上達の天井が見えたために、身体運動理論の本を読んだり、合気道やボクシングなど様々な格闘技の道場に入ってリアルな身体で技を学んだり、ということをしたそうです。すると、ゲーム内だけでは思いつかなかったようなムーブや戦術が思いついたり、なにより上達することの喜びが一段も二段もステージがあがった感覚があった、なんて言っていました。

つまりなにが言いたいかというと、夢中が真剣になると学ばざるおえない、そしてそれは苦しくもめちゃくちゃに面白い世界なんだということです。そんな話の流れのなかで、関心に応じて、まずは「プロが読んでいる本を一緒に読んでみよう」なんて誘ってもいいかもしれません。


「ゲーム内のできごと、なにしているかよくわからなくて心配、見守れなくてストレス。」

とはいえ、親御さん、おうちの方は心配だと思います。
ゲームの中でいったいなにしているのかわからないですし、つぶやくワードも意味不明だからです。

学校や習い事のブラックボックスは自分の経験値やときおりの見学から見守れますが、
ゲーム画面は、リビングの大型ディスプレイでやっていない限り、見守れません。

一番いいのは一緒にプレイすることですが、なかなかそうもいかないときには、

「これはこれこれこんなゲームなんですよ。」
「こんな学びの要素がありますよ。」
「〇〇さんは、今、このゲーム内でこんなことにトライ中で、以前よりこういうところが成長したんですよ。」
「もしかしたらこの成長は、日常生活でも、これこれこういう場面のこういうアクションに見て取れるかもしれません。」
「そのときは、なんでもいいので、ぜひそのアクションをとらまえてお声かけしてみてください。」
「もしかしたらゲームの話をうれしそうにしてくれるかもしれません。」

なんて間をつなぐ話をしてもいいかもしれません。
もちろん間をつなぐためには、子どもや親御さんとの日頃の対話が必要ですが。


「依存とかしないかな、目悪くならないかな。」

もう1つ大きく不安に思うのが、依存性です。
個人的には、依存と夢中はグラデーションの中で使い分けたいですが、なかなかその境目は難しいです。

隠れてやらない、時間は守る、課金は相談、対話は開く、などルールを話し合って決めて、
そのルールの守り具合で一緒に依存をコントロールしていくしかなさそうです。

小学生年代の心身の健康な発達は、ある程度おうちの方が意識して見守っていく必要があります。(もちろんご家庭の状況にもよります)

ゲームと心身発達との関係は研究も進んでいますが、テクノロジーの進化がはやくて研究がなかなか追いつきません。
信頼できる枯れた発達理論から推測したり、一番は子の変化を五感で感じながら、
ゲームというもはや当たり前の環境との付き合い方を共に見出していきたいものです。


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