見出し画像

東京生活10年を振り返る・その⑥-1 野心を持った男が壊れて心療内科編 終わりの始まり

女が絡んでバンド終了、という何とも情けない結末を迎えた俺は「全員まとめて殺してやる」という強い意志を持ってドラムを練習するのだった。

「音楽」ではない。「音が苦」といったところだろう。楽しさなど皆無、自分と他人を苦しめるためにドラムを叩いていた。

先生からは、「負のエネルギーを練習にぶつけちゃダメだよ。音楽は楽しまないと、必ず自分に返ってくる」そういわれた。

先生のいうことはいつでも正解である。でも視野の狭くなっている俺には今さらどう音楽を楽しんでいいのかわからなかった。

バンドが終わってから心療内科に運ばれるまで、20代でも一番壮絶だった半年間を思い出してみようと思う。当時推定22~23歳。

バンドが終わるとすぐバンドに誘われる

ドラマーというのは昔からそう。「あのバンドが終わった」「あのバンドのドラムが脱退した」そんな噂が流れるとすぐにお誘いの連絡がくる。

「どうせこのバンドがうまくいかなかったら他のバンドやればいいし」

ドラマーは厳しい環境の中で必死にやらなければならない反面、メンバー探しはとても簡単だった。多くのバンドはドラムを探しているから。

その簡単さが、「メンバーとうまくやっていく、メンバーとともに成長していく」という意識を奪ったのだと思う。

サポートドラムで2週間で11曲覚えることになる

タイミングがよかったので、あでるの先輩のバンドをサポートすることにした。オールドスクールなUKロックだった。

「来月、兵庫と大阪でライブしたいから11曲頼む」こんな感じだったと思う。1ヶ月後に11曲やるってことは、2週間くらいで11曲仕上げなければならないのだ。

人生振り返ってもそんなに速いスピードで曲を覚えたことなんてあっただろうか。当時の俺は、「辛いこと大変なこと大歓迎」だったので引き受けることにした。

曲を覚えるために睡眠時間を削ることにした

ゆっくり寝ている暇はなかった。バイトが終わった午前2時くらいから、だいたい午前6時くらいまで、毎日ドラムを叩くようになった。

スタジオバイトから個人練だけの日は体力的にもまだ余裕があった。

問題だったのは、「カラオケバイト→スタジオバイト→個人練」「レッスン→スタジオバイト→個人練」「バンド練→バイト→個人練」この3連発のパターンだった。これが週の半分以上を占めているわけだけど。

朝8時に家を出て朝6時過ぎに帰ってくる。あの頃は一日が本当に長かった。

そして、大阪兵庫のライブが終わったらこんな生活やめればいいのに、憎悪に取りつかれて半年間この生活を続けることになる。

真夜中の練習でカフェインを大量摂取

想像してみればだいたいわかる。

・9~18時→カラオケバイト
・18~26時(午前2時)→スタジオバイト
・26~30時(午前6時)→ドラム練習

こんなこと、普通の体力じゃできるわけがない。15時間働いたらボロボロになっているところを、カフェインを使ってカバーした。

2リットルのブラックコーヒーをがぶ飲みしながら練習したり、練習前にモンスターを2本飲んだり。そうしないと基礎連をやっている間にうとうとしてしまう。

うとうとしてきたらバスドラを絡めた練習をした。バスドラを踏むと目が覚めるのは、太ももに走っている神経が関係しているとか、そんな話を聞いたから。実際、目が覚めた。

第一段階→カフェインが効きすぎて眠れないのでカーテンの隙間をすべてガムテで塞いだ

真夜中に摂取したカフェインが効きすぎて、死ぬほど疲れているのに全く眠れない、そんな日々が続いた。でも当時は寝付けない原因がカフェインだなんて思いもしなかった。

カーテンから少しでも光が入ってくると眠れないので、カーテンの隙間をすべてガムテで塞いだ。1ミリも光が入ってこないように。

遮光カーテンだったので、自分の手が見えないくらいまで真っ暗になった。そうすると少しは寝やすくなった、気がした。

「どう考えても破滅の道を歩んでいた。」

第二段階→それでも眠れないので午前7時から寝る前に10キロ走るようになる

カーテンをすべて塞いでも寝ることができなくなったので、「もっと疲れれば寝ることができるだろう」と考えて、朝7時頃から10キロ走るようになる。

当時住んでいたのが阿佐ヶ谷、東中野まで約5キロ。往復すると10キロになる。

いうまでもないけど、早起きして走ったわけではない。ドラムを叩いて明け方に家に帰ってきてそこから走るのだ。

普通の精神じゃできない。憎悪とか恐怖とか、ネガティブで大きなエネルギーがないと、とてもじゃないがこんなことはできない。

あまりにもひどいときは、走り終えて1時間寝たらもう9時なので、すぐカラオケのバイトにいかなければならなかった。24時間活動。

画像1

当時の俺の体形。どう考えてももうギリギリ。

第三段階→日中にブラックアウトするようになる

夜~明け方は全く眠れないのに、その負債が日中に襲ってくるようになった。人生でも体験したことのないような強烈な眠気。

それは眠気といったレベルではない。立ったまま気絶するようになった。転びそうになって意識が戻ってきて、また立ち止まると気絶しそうになる。

それでは何もできないのでまたカフェインを摂取する。そしてカフェインを摂取するとまた眠れなくなる。その悪循環にはまっていた。

おそらく2013年とかだと思うけど、俺がスタジオのカウンターに座って居眠りをしているところを見た人も多いのではないだろうか。

このころから練習中に大泣きするようになる

自分が終わりに差し掛かっているという自覚は全然なかったけど、このころから真夜中の練習中によく泣くようになった。

基礎連のときはいい。ゆっくりやれば出来るものをだんだん早くしていくだけだから。問題はできないものをできるようにする練習のとき。

何回やっても出来ないと、スティックを床に叩きつけて泣くようになった。わんわん泣くと、「自分が必死に生きていること」を実感できた。

こういう生活を耐え抜いたやつが、「あの頃は大変でした(笑)」とか雑誌のインタビューで答えているのではないか?そんな気がしていたからまだ力が湧いた。

まとめ

文字数が増えすぎたので一旦ここまで。

ここまでの時点では、カフェインを取り過ぎて眠れないだけで、体は壊れていなかった。カフェインをやめて、普通の生活をすれば元に戻れたはず。

ただ、メンタルの方は大変だったと思う。練習依存症みたいな。

次で、自分が完全に壊れて病院にいくまでの流れを書き終えてしまおうと思う。

~~~~~~

泣くまで練習して、スタジオのドアを開けると完全に朝で。朝焼けがきれいだった。

「今日も本当に疲れた。でも出来ることは全部やったぞ…」って思いながらボロボロの状態で自転車で家に帰る時間、大好きだった。唯一気が抜ける時間だったから。

壮絶だったけど、「体験できてよかった」心からそう思っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?