kokeshi,メタルバトルジャパンを終えて
正直なことをいうと、バックボーンがハードコアやポストロックであり、メタルをあまり通っていない俺たちは、wackenについてほとんどわかっていなかった。
過去に、メディアのインタビューで、純一が「ソーセージが食べたいのでドイツでライブがしたいですね」などとふざけたことを言っていたので、そのとき大変酔っ払っていたこともあり、Xでメタルバトルジャパンの募集をしているのを見て、説明もロクに読まずに応募してしまった。
感覚的には「どうせ選ばれはしないだろう」と思いながら、毎年フジロックに応募だけはしておくのに近い。
で、メタルバトルジャパンの最終アーティスト発表の3日前くらいに、実行委員会の方から連絡が来て、出場に関する相談をした。
相談がまとまって正式に最終オーディション出演アーティストが発表されたわけだが、自分たちより世間の反応が大きくて驚いた。
そこではじめて、wackenというイベントの重みを知ることになる。一番大きかったのは、身近な人から「メタルバンドをやってる人間で、wackenに出れる人間てどれだけ少ないと思う?和真には、wackenに出られた側の人生を送って欲しいな」と言われたことだった。
出演が発表されてから本番までの日程はそう遠くなかったが、そこからは重圧と闘う日々だった。
「kokeshiなら絶対に優勝できる!」「お願いだから世界に羽ばたいて欲しい」身近な人であったり、ネットであったり、色々な人がkokeshiに期待をしてくれているのを感じた。
正直、実績やパフォーマンスには自信があった。だから、出演順もkokeshiがトリだったのだと思ってる。「まあ勝てるだろ」と思ったり「でも負けたらどうしよう」この気持ちを行ったり来たり。
スポーツだったらルールにのっとって相手を負かせばいい。試験だったら、合格ラインを超えればいい。でも今回の勝敗は審査員が決める。だから、決められた攻略法はなかった。
俺にできたのは、とにかく当日まで徹底してドラムを練習すること。ベストなコンディションで当日ライブをすることだけだった。実際、それはできたから、結果に対する後悔は全然ない。
当日、kokeshiは良いライブができた。でもなぜだろう、ライブが終わったとき「これで俺たちの勝ちだ」とは思えなかった。演奏時間が短かったからなのか、いつもとお客さんの層が違うからなのか、理由は今もわからない。
でも、Xにはkokeshiのライブについてつぶやいてくれている人がたくさんいた。「良いライブができたんだな、じゃあ勝ちか」なんてなんとなく思いながら結果発表の時間を迎えた。そして、負けた。
ショックとは違うけど、少なからず動揺はあった。すぐ近くにDEVILOOFの桂佑がいたので、「いやー俺たちwacken出れなかったねww(DEVILOOFはゲストバンドなのに)」なんてくだらない会話をして笑って、感情をごまかした。
結果発表のあと、Xですぐに謝罪をした。これまで応援してくれた人、サポートしてくれた人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
kokeshiが負けたことに対して泣いてくれる人がいたり、結果に対して不満を唱えてくれる人がいたり。「私の中ではkokeshiが優勝だよ」と言ってくれる人がいたり、「別の方法で私がkokeshiを世界に広めて見せますよ」なんて言いながら名刺をくれるレコード会社の人がいたり。期待に応えられなかったことに対する罪悪感もいっぱいだったけど「俺たちはこれだけの人たちに応援されていたのか」と思うと嬉しいような、申し訳ないような、何とも言えない気持ちだった。
イベント後、メタルバトルジャパンの実行委員会の人たちと個別で話す時間があった。「kokeshiは今回のチャンスがなくても自分たちの力で世界に行けるよ」と言ってもらえたし「自分はkokeshiが優勝だと思った」と言ってくれる人もいた。それはそれで救われた。
「メタルバトルジャパン2024の決勝でkokeshiは負けた」この事実は時間が経てばほとんどの人が忘れていくだろう。でも「メタルバトルジャパン2024年で優勝したバンド」のレコードを残すことは未来永劫できなくなってしまった。
でも、「こんなことになるなら最初から出場しなければよかった」とは全く思ってない。憧れのUNITでライブできたし、今回のライブでファンを増やすことができた。
俺たちは、何か有名なメタルバンドやらハードコアバンドをやっていたわけじゃない。キャリアもコネもない凡人が集まって1からスタートして、ここまでこれた。だから、これから先も自力で未来を切り開いていけるはず。だから、変わらず努力、前身するのみ。
ライブ後、近くのタイ料理屋で打ち上げをした。参加したのはDEVILOOF、SABLE HILLS、kokeshi、promptsのPK君、実行委員会の人たち。
バカみたいな飲み方をしたけど、良い仲間ができた。彼らと切磋琢磨しながらもっと上の世界を目指せればいいと思った。これからも頑張るよ。
そして、残念ながらうっかり終電を逃した。電車でいけるところまで行こうと思ったらわけのわかんない横浜の海沿いの工業地帯が終点だった。
そこから自宅まで31キロ、なんとかレンタルチャリを探して、ライブに必要なすべての機材を持って、限界の精神で家に帰った。ついたのが朝5時。10時から普通に仕事したよ。
「終電逃したら、DEVILOOFの機材車に乗って大阪まで行って、大阪から仕事すれば?w」とか桂佑に冗談で言われたのだが、本当にそうすればよかったんじゃないかと思うくらい後悔した。
くだらない話おしまい!今月もWWWXでライブあるし、これからもぶちかましていくからよろしく。
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