東京生活10年を振り返る・その②学生卒業~都心生活開始編

俺が20歳で専門学校を卒業する年、3/11の地震が起きて卒業式がなくなった。体育館の天井がはがれて落ちたのが原因だと聞いている。ここからは、八王子での生活を終えてからのフリーター生活の序章について思い出して行こうと思う。

当時のバンドメンバーに合わせて阿佐ヶ谷に引っ越す

当時俺は高校時代の同級生とバンドをやっていた。その子は高円寺に住んでいたので、俺も学生を卒業したら家は高円寺でいいか、なんてぼんやりと考えていた。

しかし、正しい家賃相場が全然わからない俺は、物件選びでものすごく慎重になっていた。結果として、高円寺にはちょうどいい物件がなかったので、一駅ずらして阿佐ヶ谷に住むことになった。

駅から15分、5,5畳のワンルーム。狭いけど、寮に住んでいたので部屋の狭さは全然気にならなかった。

八王子は田舎だったので、イマイチ東京に住んでいる気がしなかった。新宿方面に向かうとき、三鷹を超えたあたりから急にワクワクしてくる感じが大好きだった。「あぁ、東京だなあ」なんて思いながら。

そんな都心のすぐ近くで生活が始まることに期待を抱いていたが、思いもしないことが起こる。

メンヘラ彼女が上がりこんでくる

当時俺は北海道に恋人がいた。元々東京に住んでいたが、レイプ未遂?わいせつ致傷?に遭い、心を病んで地元(北海道)に帰ってしまったのだ。

そしたらそしたで、実家では父と新妻が仲良く暮らしていて、非常に辛かったらしい。元妻は父の不倫が原因で自殺したらしい。メンヘラっぽいエピソードだ。

その彼女から「もう限界だから(俺の)家に済ませて欲しい」と頼まれた。不憫だったし、よく考えずOKしてしまった。

そこから5.5畳のワンルームでの同棲がはじまった。

新宿LOFTでアルバイトをはじめる

軽音サークルの先輩から、歌舞伎町の大きなライブハウス、「LOFT」でのバイトを紹介してもらった。THE BACK HORNの岡峰さんもLOFTでのバイトを通じてTHE BACK HORNに加入できたというのだから、そんなところでバイトできるなんて、なんて光栄なんだろうと思っていた。働き始める前は。

実際に働いてみると、時給は770円、1日11~12時間労働立ちっぱなし歩きっぱなし、かなり大変なバイトであることがわかった。今くらいの年齢になって、ある程度タフで、ストレスに強かったらよかったんだろうけど、ぬるい学生ライフを終えたばかりの俺はついていくことが出来なかった。

結局、LOFTのバイトはすぐに辞めてしまった。

カラオケでのバイトがはじまる

紆余曲折を経て高円寺のカラオケでバイトをはじめた。すごく緩い職場で、店長がゴミなこと以外はすべて楽しかった。結局そこで3年くらい働くことになる。

カラオケで高円寺周辺の友達を作って生活の基盤を固めていった。あれがなかったら、しばらく孤独だったかもしれない。

昔一緒に働いていたみんなは、今でも元気でやっているだろうか。色々と思い出してきた。ブログっていいな。

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