青春の箱アンチノックに再び出演して思うこと

20代の東京生活の中で、青春といえるライブハウスが2つある。それがエラとアンチノックである。フラットは青春とは呼べないかもしれない。今も自宅だから。

何を持って青春といえるのか、それは「苦しみながら成長できたか」これに尽きると思う。

楽しい思い出のあるライブハウスはいくらでもある。でも「悩み、苦しんだライブハウス」であることが俺にとっては青春・財産なのだ。

アンチノックについてちょっと思い出してみようと思う。

八王子勢が卒業と共に都心に乗り込みはじめる

学生時代、八王子勢のホームといえばやはりリップスかマッチボックスだった。

リンキーディンクの悪徳ブッカー(断じて奥さんのことではない、奥さんは素晴らしいブッカー)により、俺は八王子の外の世界をほとんど知らなかった。徹底的に囲われ、お金を取られていた。

ブッカーのいうことを聞いて一生懸命やって、お金を払い続けていればなんとかなると思っていた。認めてもらえれば、メジャーのバンドと対バン出来たり、自身が有名になるチャンスだって転がってくると思っていた。

だが、今になって冷静に思う。ブッカー達も自分たちよりちょっとバンド歴が長いだけの「売れないバンドマン」だったんだ。何のとりえもない10代の俺たちを有名なバンドと対バンさせるわけないし、そんな力を持っているなら自分のバンドと当てているはず。ブッカーとプロデューサーは違う。

こんな簡単なことに気付くにも、長年を費やしてしまった。

話を戻して、身の回りの友達バンドマン達が活動の場を少しづつ都心に移すようになっていった。

何の因果があったのかわからないが、周りにアンチノックに入っていく友達が多かったから、誰かの紹介でアンチノックに出演できることになった。

初ライブでボコボコにダメ出しを受ける

俺の記憶が正しければ最初のブッキングは印藤さん(マシリト)のブッキングだった。

初のブッキングライブの清算時に受けたダメ出しを思い出せる範囲で思い出してみようと思う。

①声が聞こえない、歌詞が頭に入ってくる瞬間がほぼない
②コックローチっぽいって思われないためにボーカルギターやってるっていうけど、そんなのCDになっちゃったら誰もわかんなくね?
③外装も良い、内装も良い、味も良い飲食店なのに料理に陰毛が入ってるみたいなバンド

③みたいな抽象的な話、当時はなんであえて例えを出して話すんだろうって思ってたけど、今はすごい納得できる。①みたいな具体的に説明できる部分は簡単というか浅いというか。

メンバーと話す時もこんな抽象的な話し方するなって思う。「パッと見いいものでも、肝心な所にほころびがあると全てが台無しになるよ」そんなことがいいたかったんだと思う。

2回目:alt of the societyの企画に呼ばれる

2回目はaltとアンチの共同企画だった。俺はアンチ側として呼ばれた。

タイムテーブルについてきたメッセージを呼んで驚愕した。

「出番前後に関係なく酒を飲みまくってください。そして酔っ払ってください。でもダメな演奏はしないでください。酒を飲んでいいライブもする、それが男というものです」

簡単にいえばこんな感じの内容だった。知らない人なので、「としきさん、なんて怖い人なんだろう」って思った。だが、実際に会ってみるとすごいアツい人だった。

ここで現ベース純一と出会う

altのイベントで、俺とあでるがやっていたバンドが、kokeshi現ベースである純一が当時やっていたバンドと出会う。純一は大学が終わってから会場入りしたので、俺たちのライブをみていない。食いついてきたのはボーカルの上野さんのほう。

ただただ、酒の波長が合う友達として純一と出会った。

それが数々の伏線を回収して何年も後になって一緒にバンドを組むなんて、誰も予想できるはずがない。

一生懸命になりすぎて精神を病む

印藤さんがはっきりとダメ出しをしてくれるのが好きで、信用できたし、当時のアンチノックはかっこいいバンドが多かった(NoLAが平日ブッキングに出る時代)ので、毎月出ていた。

他者を抜いて有名になりたくて、とにかく一生懸命練習していた。自分に厳しくすればするほど他人に厳しくなっていくのがわかった。作品にもきびしくなっていた。最後にはバンド活動、ドラム練習で感じる辛さをライブにぶつけるようになっていた。

意味がわからないけど本当にそうだった。ステージの上で情けない顔しながらスティック振り乱して、ギャーギャー叫んで。でもそのとき「確かに生きている」そう感じた。あの感情・あのライブは若き日にしかできないものである。あの感覚が懐かしい。

結局、アンチノックで2つのバンドを潰した。どちらもあでるがいたバンドだが、どちらも脱退している。(精神を病んでいく過程は複雑かつ長すぎるのでカツアイ)

印藤さんにも「もうバンドはやりたくない」宣言をした。「お前に足らないものは、メンバーと話し合うことだよ」って言われたけど、バンドがやりたくなくて、メンバーとも会話したくなかったので、向き合おうともしなかった。

アンチで初ライブをしてから4年後くらいのことだと思う。俺のバンドライフが一度終わった。

そしてkokeshiでアンチにでる

印藤さんもやめたし、もうアンチに出ることはないと思っていた。だがしかし、年単位での出演交渉が同意に至り、kokeshiがアンチに出演することになった。

印藤さんがいない以外、ほとんど変わってなかった。スタッフも、においも。若き日の血がよみがえってくる想いだった。

「ずいぶん長年バンドをやってきたなあ」そう感じた。辛かったこともあったけど、一周して「体験できてよかった」そう思えるようになった。

もういい年齢なので、あの頃のように、今度は俺たちが後輩にいいところをみせてやりたいと思う。

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