東京生活10年を振り返る・その④西荻リンキィでバイトしてFLATでハードコアに出会う編

カラオケバイト生活にはなんの不満もなかったが、「このままで俺は大丈夫なのだろうか、もっとできることはないのだろうか」という漠然とした不安はいつもついて回った。

ここではリンキィディンク・ハードコアとの出会いについて思い出して行こうと思う。

スタジオのアルバイトをいつも探していた

ドラマーはとにかく個人練にお金がかかる。2時間練習したら1200円、ガチでやるならそれを週5回くらいやらなきゃいけない。

生きてるだけでワープアなのに、そこからお金を捻出するのはとても大変だった。俺を支えているのは「俺がキツいってことは周りもきつい、ここで頑張れるかが未来の結果を変える」という強い意志だけだった。

こうやって自分を追い詰めたり、何かに耐えたりすることを美徳だと感じるこの性格が本当によくなかったと今でも感じている。

話を戻して、「スタジオ店員になればドラム叩き放題なのではないか?ていうか、どんな手段でも使わないと他人を抜くことなんてできなくね?」と思って、いつもスタジオ店員の募集を探していた。

西荻のリンキィディンクに採用される

リンキィ西荻店がスタジオ店員を募集しているのを見かけて即応募した。梅が丘店まで面接にいった。

普通の面接と違って、事前に用意できないような難しい質問ばかりされた。そこに嘘とビッグマウスを重ねて採用された。例えば、西荻リンキィなんて使ったことがないのに、つかったことがある友達のレビューを聞いて利用したことがあるフリをしたり。

花石さん、すまなかったな。そうでもしないと受からなかったんや。

カラオケバイト初めて1年後くらいの話。当時21歳。カラオケバイトを大きく減らしてスタジオ店員をやる生活がはじまった。

おっちゃんと出会う

西荻のリンキィ、もしくはFLATに足を運んだ人がある人ならわかるであろう、あのおっちゃんと働くことになる。

最初の2週間くらいは気のいいおっちゃんだったが、実際はそうでもないことはすぐにわかった(笑)。「ふざけんなよこのジジイ」って思ったことは何万回もあったけど、それが原因でやめようと思ったことはない。

ドラムが叩けなくなることの方がデメリットが大きいと感じていたし、勝つにはこれしかないと感じていた。

週末のFLAT営業でフレデリカ一平と出会う

西荻リンキィが週末はライブハウス営業をしていることは働きはじめてから知った。FLATの仕切りでFredelica一平が出勤してきた。

「激情ハードコアっぽいバンドやってます」って言われたけど、その当時はハードコアのことは全然わからなかったので、ピンとこなかった。

ハードコアまみれのライブハウス営業に長年巻き込まれることで、俺のミュージシャンライフは、ゆっくりと方向を変えていくことになる。

昔のイベントを思い出してみる

自分がいつから働きはじめたのか、ちゃんと思い出せない。多分2011年だと思うんだけど、FLATのホームページには2012年11月以降のスケジュールしか掲載されていなかったので、ちょっと覗いてみようと思う。

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すごいすごいすごい!ちゃんと覚えてるよどっちも。ELMOとかねー、やばいね。マジ脳が揺れたなーっていう記憶がある。

とはいいつつも上記のようなニュースクールやらエクストリーム系のイベントにはあんまり食いつかなかったけどね。本当に好きになったのは最近の話。

今も昔も、激情系・カオティック系がメインの箱だから、仲の良い人もやはり激情系が多かった。

本当にハードコアを好きになったのは退職後

FLATでハードコアに出会って、最初からずっとハードコアが好きだったわけではない。

ジャンルにもよるけど、パンク、ジャパコア系の人たちにはマナーの悪い客も多かった。ライブハウスにマジで男しかいないという光景も当時は異常に見えた。

有名になりたくてバンドやってる俺にとっては、努力を知らなそうなやつらが楽しそうにバンドをやっているのがなんとなく許せなかった。

もちろん仲の良い人はたくさんいたので、そういう人たちとの交流は楽しかったけど。

純粋にハードコアというジャンルのことを評価できるようになったのは退職してからなのだろうなと思う。

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