芸人をやっていた3年間


以前にも書いたが、僕はおよそ3年ほどお笑い芸人をやっていた。活動の結果、形あるものとして残ったものは何もなく、ただ自分の名誉欲の無さや、自分が大して面白くないことを思い知らされた。しかし、僕はその3年に一切の後悔をしていない。自分の人生において絶対欠かすことのできない大切なことを学べた期間であったと思う。


芸人をしていて、とにかくしんどかった事は「スベる」ということである。おそらく誰でも1度や2度は似たような雰囲気を味わったことがあると思うが、大勢の前でスベるということはとてつもなく辛いものである。

ネタの中で1回スベってしまうと「スベったやつが何かやってる」みたいな空気が舞台に流れる。そうするとスベりが更に加速するのだ。つまり3分のネタの初めの1分でスベってしまうと、未来の2分にスベり確定のレールが敷かれるのである。その2分は、満員電車における腹痛や、怒られる事確定のミスを犯したことに気づいた金曜夜の帰宅途中よりも辛い。スベり確定、ローションテッカテカの床を全力ダッシュすることを強いられるのだから。

なんでもいいから、とにかくその場から逃げ出したくなる。エッジの効いていないネタでスベると、スベり笑いすら起こらない。ただただ自分が舞台を駆けずり回る音や、やたらと回る空調の音が聞こえてくるのみである。押したら「細かすぎて〜」の要領で、舞台の床がパカっと開くボタンがあればいいのにと何度思ったことか。

たった3年とはいえど、そんな経験を何十回とした。自分の努力や期待が大勢の前で裏切られるということが日常的に起きていた。


また、バイト先においても「芸人だから」ということで様々な面白トークが求められる。売れない芸人とは、ピエロである。フリがないのにウケるはずがないのだが、スベれば「そんなんじゃ売れないよ」と嘲笑され、仕事仲間にも「こんなんだからダメなんすよ」と言われる。自分の肩書きが「会社員」から「売れない芸人」になった時点で身分カーストが最底辺に落ちる、それが日本の常識であるようだ。軽く扱われる度に自分がウジ虫のような気がしてくる。


そうやって、色々な場面で自分のダメさを突き付けられるということを繰り返しまくってきた。その頃の日記を読むと「自分が嫌になる」とか「未来のこと考えるの好きじゃない」とか暗いことばかり書いてある。だが、それらが僕の人生において最も重要なことだったと思っている。



幸運にも、僕はそれまでの人生で行き詰まりを感じたことがほぼなかった。勉強をするにしても運動をするにしても、大きな劣等感は感じてこなかった。どの年代においても友達はいたし、たまには彼女だって出来た。なんなら自分は弱点無いなとすら思っていた。しかし、それはただの勘違いであったようだ。

思えば自分は、いつからかあらゆるシーンで失敗するということを避けてきた。まあ僕らの世代は特にそういう傾向が強いと思うが、悪目立ちすることを避けていた。
ただ失敗しそうな挑戦を避けているだけであるのに、結果として失敗の数が少なかったために、自分は「弱点が無い」と思っていた。失敗がないために何の能力も高まりはしなかったが、ただ自分のプライドだけが青天井に高まっていった。

そんなクソガキの細く脆い出鼻が挫かれまくったのだ。今までは「弱点無しモード」で生きてきたため、自分のダメなところなど目を向けてこなかった。そんな20数年間目を背けてきた事実がたったの3年間で急に叩きつけられまくるのだ。上記の通り落ち込みもしたが、なんやかんや自分は大したことないやつだと知り、開きなおれた。ダメな部分を知れたので改善しようと思えた。反対に自分が案外ダメじゃない部分も知れた。


それからは自分の出来ること、出来ないこと、良いところ、ダメなところ、見た目の印象、声の印象、スタイル、癖、立ち振る舞い、これらに向き合うことを始めた。就活でやった自己分析がバカに思えてくるほどの徹底的な自己分析だ。


自己分析の結果として、一つ分かったことがあった。それは自分の正体だ。

僕は弱点のない人間などではない、凄まじいまでのアホだった。人生において大きな挫折が無かったために自分はなかなかだと思っていたが、ただ単に楽ちんなルートを考え無しに選択していただけであった。また、あまり落ち込まないので精神的にタフだと思っていたが、それはアホなのであまり考え込まなかったというだけだった。このように自分の性質の全てが「アホだから」で片付くことに気が付いた。

自分がアホだと気付いてからの変わり様は凄かった。アホなので自分のミスなんて素直に認められるようになったし、分からないことはアホみたいにハッキリと分からないと言えるようになった。

アホなので他人にいじられることも不快ではなくなったし、「自分を取り繕う」という無駄な考えが無くなったためか、何故か頭の回転が早くなったりした。アホなのに。

また、芸人には今までの人生で会ったことのないようなアホが本当に多い。バイト先の生肉をポッケにいれて持ち帰って仲間に振る舞う(犯罪)奴もいれば、振られた女の子に本気で不幸の手紙を書いたものの、住所が分からず土葬する奴など、どこを探してもアホまみれなのである。アホの中にいると、自分のアホをもっと育てたくなる。

「自分はアホ」モードにすると不思議と他人もアホに見えてくる。そのため何か嫌なことをされても「ああ、この人はアホなんだ」と思えて心に残らないし、逆に良いことをされると「こんなアホな僕にありがとう」という気持ちが湧く。

自分がアホであることを知っているために無駄に落ち込まないし、自分がアホであることを知っているために向上心を持ち続けることもできる。アホとして生きていたら、大外からソクラテス哲学に繋がったようで本当にアホみたいな話である。


これらのことから、僕は自分のアホさに気付くことのできた3年間をとても意味あるものだったと感じる。アホと気付いてからは心から笑える回数が増え、悩む回数が減った。この考え方になれただけで、本当に良い経験だったと思う。
ここまで書いて、完全に主観で書いてしまっているために、もしかしたらアホ以外には分かってもらえないかもしれないと思っている。まあ、もしそれでも許して欲しい。なぜならこれを書いた僕が、アホだからである。


終わります。

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