ジュブナイル
僕は今、塾で講師をやっている。
具体的な名前までは出す気はないが、小学生から高校生までを見る一般的な個別指導塾である。
そこで僕は主に小学生の授業を見ている。高級住宅地の近くにある塾だからか、社会で都道府県の話をすればどこどこに別荘があるだとか、国語で車の話が出てくれば家の車はジャガーやポルシェだとか、スキあらば金持ちマウントを取りまくってくるお利口でおしゃべりでムカつく子達が多い。
その日、僕は小3の国語を教えていた。選択肢問題を解かせた時に、その子は少し考えた末に正解の選択肢を選んだ。
僕はその子に正解であることを告げ、何故その選択肢を選んだかを問うた。するとその子は、
「え?うんち!!」
とふざけながら答えた。
講師として当然注意すべき言動であるが、それを聞いた僕は気づいたら「ギャハハ!」と大笑いをしていた。
今思い出すともちろん面白くもなんともない。そりゃそうだ。うんちで爆笑する時期など遥か昔に過ぎ去った。うんちで笑わなくなるから成人なのだ。酒が飲め、所帯が持て、罪を犯したら自分でその禊を果たさなくてはならない。全てはうんちで笑わなくなったが故の権利であり、義務である。うんちで笑わないとは、そういうことなのだ。
しかしその時、僕は笑ってしまった。今分析してみるに、その爆笑の理由として希少性があったのだと思う。30歳を目前にし、他人の口から「うんち」という言葉を聞くことは少なくなった。ただ単に他人が「うんち」と言っていること自体が珍しいのだ。珍しいものは価値が高い。ダイヤモンドがその辺にゴロゴロ転がっているようなものであったとしたら、誰もシンデレラ城前で跪いて渡すものにハメ込んだりしないはずだ。ダイヤモンドが如きのその希少性が僕の笑いのツボを刺激したのかもしれない。
また、笑った理由には驚きもあったのだと思う。僕はその時正解の選択肢を選んだ理由を聞いたのだ。すると、「うんち」と返ってきた。それを受け入れる準備が出来ていなかった。つまり「うんち」という言葉を全く予想していなかった。正解を選んだ国語的な説明が入っていると思われた箱、それを開けると意外や意外、うんちが入っていた。
笑いというものは、予想と実際とのズレ、その反応として起こるものである。いないいないばぁも一緒だ。顔を隠した人がいないいない〜と思ったら実はそこにいるからこそ、赤ちゃんは笑う。それと同じ意外性、そこに爆笑の理由はあったはずだ。
一通り笑ったあと、僕は通常の授業に戻り、次の選択肢問題の答えを子供に尋ねた。すると、子供はニヤニヤと笑った後
「えっとねー、うんち!!」
と答えた。
子供は更なるウケを狙ったのであろう。僕を見て「この人はうんちで笑う人だ。」そう認識したはずだ。すっかり気を良くしたようである。
しかし僕は笑わなかった。
個別指導ではありえないくらい冷たくシラけた時間が流れるのを感じたが、それでも僕の口角は一切上がることはなかった。それもそのはず、今度は予想が付いていたのだ。
正直、子供がニヤニヤと笑っているのを見た途端「これはうんちが来るかも」と勘づいた。そしてその予想通りうんちが来た。「うんちが入ってるかも?」と書いてある箱にうんちが入っているのだ、笑うわけがない。まずなんなんだよ、その箱。ただうんちを連発するだけで笑い転げる、そんなジュブナイルは矢の如く過ぎ去った。そう、僕は成人なのである。例え親と特命係長只野仁を見ることになったとしても、素知らぬ顔で見ることができる。
子供は当惑した表情を見せていた。無理はない、さっきまでうんちで笑っていた人間が打って変わって能面の様な顔でこちらを見ているからだ。恐らく、自分以外ブリーフを卒業しているのに気づいたある日の体育の着替えのような、猛烈な「置いてかれた感」を感じたであろう。小3なんて丁度そんな時期だ。そんな戸惑いを見せている子供に対して僕は、
「授業中にうんちって言ってはいけません。」
と叱りつけた。子供は明確に「えっ!?」と言った。それもそのはず、さっきまでうんちで笑っていた人がそのことで注意をしてくるのだから。人格が変わったとしか思えないであろう。しかし僕は塾講師なのだ。授業中ふざけている子供を叱って何が悪い。大人を舐めるんじゃないよ。ワキ毛生えてんだよこちとら。残りの時間、その子供は打って変わって大人しくなった。
それから数週間の後、その子供は塾を辞めた。詳しい理由は聞いていない。僕に対して得体の知れない何かを感じた故かもしれないし、ただ単に引っ越しただけかもしれない。
今頃その子は新たな塾に行き、うんちで笑う講師を探しているのだろうか。それとも、僕の反応で懲りてしまいそんな時期を卒業したのだろうか。それを知ることはもはや出来ないが、もし後者ならその子の成長に一役買うことが出来たことになるため、わずかながら嬉しく思う。みんな、そういう時期を経て大人になっていくのだから。。。
終わります。
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