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Episode 11: トラピストビール〜聖杯を掲げよ〜

この連載を始めることになったときから、この日はこのネタで行こうと決めていた。今回はトラピストビール。修道院で醸造されたビールの話である。

私が幼い頃通っていた幼稚園は仏教系で、浄土真宗のお寺の敷地に建っていた。しかし、だからといって私は熱心な仏教徒ではなく、特定の宗教への信仰心は持っていない。

この時期になると、街はクリスマスで騒がしくなる。最近ではイースター(復活祭)を祝う人も増えているのかも知れない。もちろん、信仰心から祝う人も多いのだろうが、実際にはそうでない人もいるのだろう。

ビールを楽しむのに信仰心は必要ない。一方で、宗教的なバックグラウンドをもつビールというのが存在する。それがトラピストビールである。

実は、「トラピストビール」という名称は、厳密にはビアスタイルを表す言葉ではない。しかし、トラピストビールには、ある意味、ビアスタイルよりも厳格な定義が存在するのである。

その辺りから話を始めてみよう。

修道院内の醸造所

そもそも、トラピストとはカトリックにおける修道会の一派で、正式には厳律シトー修道会という。1664年にフランスのノルマンディーにあったラ・トラップ修道院において、当時の修道院長であったランセが改革を行なったことから始まったとされる。トラピストの名もラ・トラップに由来する。

修道士たちは、ベネディクト会に端を発するシトー会で定められた厳格な戒律を遵守しながら共同生活を行なっており、彼らには祈り労働沈黙が求められていた。

彼らの労働は主に農業であったが、作物として収穫された小麦やライ麦からパンやビスケットを作ったり、動物の乳からチーズやバターを作ったりという食品加工も行なわれていた。そして、その中にビール醸造もあったというわけである。

修道院でビール醸造を行なうということは、トラピストの創立よりはるか以前、中世ないしそれ以前より行なわれてきた。

例えば、ドイツでは主に南部バヴァリア地方のミュンヘンの辺りに修道院が設立され、ビールが作られてきた。実はミュンヘン(München)という街の名は修道士や僧を意味するドイツ語 "Mönch" に由来している。現在でもミュンヘンでビール醸造を行なっているアウグスティーナーパウラーナーという醸造所も、修道院の醸造所として設立されている。

また、修道士たちはビール醸造技術の研さんにも励んでおり、その後主流となる醸造技術の中には修道士たちによって確立、あるいは発見されたものもある。

例えば、麦汁を冷却させるために使われてきた底面積が広く浅い冷却槽であるクールシップや、ビールに苦味や防腐効果をもたらすためにホップを使用することなども、中世の頃から修道院では取り入れられてきたようである。

トラピスト・ロゴ

現存しているトラピストビールの醸造所には、19世紀以降にビール醸造を開始したものとそれ以前から醸造を行なっていたものがある。古くからビールを作ってきた醸造所も19世紀の初めにはナポレオン軍により破壊され、19世紀後半以降に復興している。

そのため、現代のトラピストビールは、19世紀から作られ続けていると考えることができる。当時は修道士たちが栄養補給のために自分たちで飲むために作られていたが、やがて修道院外へ販売するようになる。

1930年頃には、どこの修道院にも醸造設備があってビールを醸造するのが当たり前のようになっていたようである。1950年頃には修道院とは関係のない外部の醸造所がトラピストビールを真似たビールを作っては、修道士や修道院を思わせるラベルやブランド名を用いて販売するようになった。

これに対し、ベルギーでは、1962年にトラピストビールの呼称が法的に保護されることとなり、修道院外のブルワリーが醸造したビールを「トラピスト」の名で呼ぶことができなくなった。

さらに、1997年には国際トラピスト会修道士協会が設立され、ある基準を満たした商品だけが "Authentic Trappist Product(ATP)" と示されたロゴ(下写真)を使用することが認められている。

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このロゴは、ビールのみならず、ワイン、チーズ、パン、ビスケット、クッキー、チョコレートなど、修道院が作る製品全般に有効なものである。ただし、ロゴの使用には条件があって、ビールの場合、以下の4つの条件が必要である。

(1)  醸造所は修道院の中にあり、ビール醸造は修道士自身によって行なわれるか、修道士の監督のもとで行なわれなければならない。
(2) ビール醸造が修道院の主たる活動となってはならない。
(3) ビール醸造で得た収益は修道士の生活や修道院の運営・維持にのみ使用され、余剰分は慈善事業に使用されなければならない。
(4) ビールの品質を保つため、醸造されたビールは定期的に協会の監査を受けなければならない。

現在、これらの条件を満たし、ATPロゴを冠したビールを作ることができる醸造所は、現在、以下の3ヶ国8つの醸造所に限られている。

ノートルダム・ド・スクールモン修道院(シメイ醸造所/ベルギー)

ノートルダム・ド・オルヴァル修道院(オルヴァル醸造所/ベルギー)

ノートルダム・ド・サン・レミ修道院(ロシュフォール醸造所/ベルギー)

聖心ノートルダム修道院(ウェストマール醸造所/ベルギー)

シント・シクスタス修道院(ウェストフレテレン醸造所/ベルギー)
聖ベネディクト修道院(アヘル醸造所/ベルギー)
コニンクシューフェン修道院(ラ・トラップ醸造所/オランダ)
シュティフト・エンゲルスツェル修道院(オーストリア)

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トラピストビールのスタイル

「トラピストビール」は特定のビアスタイルを指したものではないことはすでに述べた。しかし、修道院で作られてきたこれらのビールの中にも、ビアスタイルとして定義されているものがある。ここでは修道院で作られていたビールを祖とする代表的な三つのスタイルを紹介しよう。

まずはベルジャンスタイル・デュッベルである。デュッベルの色合いは濃色で、ホップのアロマや苦味、バナナなどを思わせるフルーティーなエステルのアロマよりも、麦芽由来のアロマや甘みに特徴がある。香りはカラメルやココア、ドライフルーツのよう、と形容される。アルコール度数は6〜7%程度と若干高めで、体を温めるには十分である。

このスタイルは20世紀前半にベルギーのウェストマール醸造所によって作られたものが元祖である。

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この後、徐々にアルコール度数は高くなる。

続いては、ベルジャンスタイル・トリペルである。トリペルの色合いはデュッベルとは逆に明るい色である。きめ細かい泡が特徴で、アルコール度数も7〜10%と、デュッベルよりもさらに高い。そのため、麦芽由来の甘みも感じられるが、ホップの苦味も効いており、バランスがとれているため、口当たりは意外なほどにドライである。いわゆる危ない酒、といえよう。トリペルの元祖もウェストマール醸造所の手によるものである。

最後に紹介するのは、ベルジャンスタイル。クァドルペルである。色合いはデュッベルと同様にダークであり、アルコール度数は9〜14%にも及ぶ。これだけ度数が高いと、発酵由来のフルーティーな香りが存分に感じられ、レーズン、イチジク、ナツメヤシ、プラム、グレープなどのニュアンスが複雑に混じり合った香りが感じられる。

デュッベル、トリペル、クァドルペルという言葉は2倍、3倍、4倍を意味するが、上で述べたとおり、アルコール度数が2倍、3倍と高くなっていくわけではない。この順にアルコール度数が高くなっているし、醸造に使用される麦芽の量もこの順で高くなっている、という程度のものである。

修道院の外では

上で述べたとおり、トラピストビールは8つの醸造所でしか作ることが認められていない。しかし、上記のデュッベルやトリペルとして生産されているのがこれらの修道院のものだけかというとそういうわけではない。

例えば、上記の8つの醸造所以外が生産に関わっていいたり、かつてビール醸造を行なっていた修道院のレシピにしたがって、委託を受けた民間のブルワリーが生産しているものなどがある。これらはアビイビールと呼ばれている。アビイビールも1999年以降、認証制度ができており、承認を受けると認証アビイビールのロゴを冠することができる。

また、これらいわゆるアビイビールの他にも、世界的なクラフトビール・ムーヴメントの流れの中で、ビアスタイルガイドラインで定義されたデュッベルやトリペル、クァドルペルなどが世界各地で作られている。例えば、米国では、ザ・ロスト・アビイブルワリー・オメガングなどが、トラピストビールの影響を受けた銘柄をリリースしている。

日本でも数は多くはないが、いくつかのブルワリーがトラピスト風のビールを醸造している。以下では、由緒正しいトラピストに加えて、このような修道院外の銘柄も紹介しよう。

代表的銘柄

《ベルジャンスタイル・デュッベル》
  Westmalle Dubbel(ベルギー)

  La Trappe Dubbel(ベルギー)

  St. Feuillien Brune(ベルギー)

  Maredsous 8(ベルギー)
  備後福山ブルーイングカレッジ・O.D.A.(広島県/JGBA2021銀賞**)

《ベルジャンスタイル・トリペル》
  Westmalle Trappist Tripel(ベルギー)
  Chimay Tripel(ベルギー)
  Achel 8 Blonde(ベルギー)
  こぶし花ビール・グランクリュ(埼玉県)

《ベルジャンスタイル・クァドルペル》

  La Trappe Quadrupel(ベルギー)
  Trappistes Rochefort 10(ベルギー)

  St. Bernardus Abt 12(ベルギー)

  Carvaan・トリペル(埼玉県/IBC2021金賞*)

* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

自宅で、それが難しければ、ベルギービールを豊富にそろえたビアバーを訪れ、ゴブレットや聖杯の形をしたグラスにトラピストビールを注ぎ、厳かな気分に浸ってみるのも悪くないだろう。信仰心の有無は関係ない。ビールはあなたを暖かく受け入れてくれるはずだ。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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