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Episode 03: ピルスナー〜ゴールドラッシュの到来〜

。これを「キン」と読もうが、「カネ」と読もうが、人は「金」には心奪われる傾向がある。オリンピックの勝者は黄金色のメダルで讃えられるし、米国では黄金を求めて多くの者が西部を目指した。日本でも徳川の埋蔵金などというものに人々が群がったことをみなさんもご存知だろう。さらには、世界のどこであれ、「金」の魅力に取りつかれ、人生を狂わされてきた人の数と言ったら…

1842年は、ビールの歴史の中で奇蹟的な年として記憶されるべきである。なぜなら、この年を境にビールの世界は大きく変貌を遂げたわけだから。この年、その後全世界を席巻することになる、それまでに造られてきたものとは見た目も香りもまったく異なる、黄金色に輝く新しいビールが誕生した。ピルスナーである。

1842年・プルゼニ

ビールの主原料は麦芽、ホップ、酵母、水である。このどれが欠けてもビールはできない。そして、奇蹟の酒・ピルスナーの誕生は、このビアスタイルを特徴づける4つの原料すべてが、1842年、ボヘミア(現在のチェコ)はプルゼニ(ピルゼン)の街で一同に会したことに起因しているのだ。

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これまでにも書いてきたとおり、古くからのビールはすべて色の濃いものであった。ボヘミアも例外ではなく、1830年代以前は濃色のエールが作られてきた。しかも、常温で貯蔵されることが多かったため、劣化が進んだり、雑菌が繁殖したりして悪くなってしまうものも少なくなかった。

当時、ドイツ、特に南部のバヴァリア地方ではすでに下面発酵によるラガーの醸造法が確立されていた。すなわち、暑い夏を避け、寒い冬に仕込みを行なって、涼しい洞窟などでじっくりと熟成させることで、上面発酵のエールよりも安定した品質のビールを供給することができていたわけである。第1回でも述べたとおり、こうしてデュンケルのようなビールが作られていたわけだ。

1840年代に入った頃、プルゼニの街では、それまでとは違う安定した品質のビールを造ることができる新しい醸造所を設立することになった。彼らはバヴァリアから下面発酵酵母を取り寄せ、ラガービールを作ることを決めたのである。このラガー酵母が原料その1である。プルゼニの街を流れるラドブザ川のほとりには、ワインなどを貯蔵していたトンネルがあり、彼らはこれを利用して熟成(ラガーリング)を行なえると考えていたのだ。

バヴァリア流のラガーを作るため、彼らはドイツからヨーゼフ・グロールという醸造家を呼び寄せた。グロールは、プルゼニの北80kmほどのジャテク(ザテック)で採れるザーツホップ(原料その2)を使ってバヴァリアで作られていたデュンケルのようなダークラガーを作ることを考えていた。

デュンケルの回でも述べたが、バヴァリアの水は重炭酸塩が多く含まれているため、ホップの効いたビールを作ることは困難だった。一方、プルゼニの仕込み水はミネラル分が極めて少ない軟水(原料その3)で、ホップキャラクターを活かすことができるだけでなく、出来上がりのビールの色も多少淡く作ることが可能となった。

さらに彼は4つ目の原料を手に入れることになる。麦芽である。ちょうどこの頃、比較的低温で熱風を加えることで麦芽を乾燥させる新しい技術が確立されており、彼はビールの色をさらに淡くすることが可能となる単色麦芽、現在、ピルスナーモルトと言われるようになった麦芽を使うことができたのである。

これら4つの原料を用いることで、色がひときわ淡く、ホップのフラワリー、スパイシーな香りが引き立てられ、スッキリとシンプルな味わいのビールが完成した。世界初の黄金色に輝くビール、ピルスナー・ウルクェル(下写真)の誕生である。

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アロマとフレーバー

プルゼニで誕生したこの新しいビアスタイルは、現在、ボヘミアスタイル・ピルスナーとして知られている。そのアロマとフレーバーの秘密に迫ってみよう。

まず、色が淡いことで、麦芽由来の香りは低く抑えられているのが特徴である。それまでのビールは濃色であったため、麦芽のロースト香が前面に出たビールがほとんどであったが、淡色麦芽は炒りたての麦や豆のような香りが感じられ、香り自体も決して強いものではないため、麦芽のアロマやフレーバーが強く感じられることはほとんどない。

使用されているザーツホップは、いわゆるノーブルタイプホップと言われるもので、花やスパイスのような上品な香りとクリーンでスッキリした苦味に特徴がある。濃色ビールに使用されると、モルトアロマを影から支えるような慎み深い存在とも言えるものであるが、ピルスナーのような淡色ビールでは麦芽由来の香りが低く抑えられているため、むしろホップアロマが控えめではあるものの、前面に現れることとなる。

さらに、ミネラル分の少ない水で仕込むことで、ホップの苦味もしっかりと効かせることができる。ザーツホップ自身のもつクリーンな苦味も相まって、IBUの数値が30〜40という高い値となったとしても、エグみのないスッキリとした後味を実現することができるわけである。さらに、低温が発酵が行なわれるラガー酵母を使用しているため、発酵由来のフルーティーな香りもほとんど感じられず、ホップのキャラクターがより一層引き立てられているわけである。

ボヘミアスタイル・ピルスナーは世界初の黄金色のビールであるが、アロマやフレーバーの面からすると、世界で初めて、ホップの香りと苦味が他の要素を抑えて主役の座に輝いたビール、ということもできるだろう。

世界を席巻した黄金色の波

プルゼニで作られたピルスナーは、当時やはりボヘミアで作られていたガラス製の容器で提供されたこともあり、その黄金色に輝く美しさが世の人々の目を奪うこととなる。これほど美しいものに価値を見出した人々が、その真似をするようになることは、世の常というものだ。

特にチェコの隣国、ドイツではそのムーヴメントがひときわ早く訪れ、かつ顕著であったと言える。ピルスナー・ウルクェルの誕生から30年後、チェコとの国境に近いザクセン地方では、ボヘミアスタイルのピルスナーによく似た黄金色のラガー、ラーデベルガー・ピルスナー(下写真)が作られた。現在のジャーマンスタイル・ピルスナーの原形である。

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ザクセン地方やドイツ北部の地域ではプルゼニと同様にミネラル成分の少ない軟水が湧き出ており、この水がホップを効かせたスッキリしたラガーを作るのに最適であった。さらに、ドイツのピルスナーで使用されるハラタウ産などのホップは、苦味の原因となるアルファ酸の含有量がザーツよりも若干多く、結果としてボヘミアスタイルよりも苦味の強いビールが出来上がった。加えて、ビール自体の色もボヘミアのものよりも若干淡いため、オリジナルのピルスナーよりもさらにホップのキャラクターが強調されたビールとなったのだ。

ドイツ西部の工業都市ドルトムントでは、ピルスナーよりもボディが強めで、ホップの特徴が若干抑えられたビール、ドルトムンダー・エクスポートが作られるようになった。また、プルゼニで使用されたラガー酵母の起源でもあった南部バヴァリア地方でも、ピルスナーによく似たビールが作られるようになる。これがミュンヒナー・ヘレスである。ヘレスの名はドイツ語で「明るい」という意味の “Hell” に由来している。デュンケルはミュンヘンの濃色のビールだったが、ヘレスはミュンヘンの明るい色、つまり淡色のビールというわけである。これもドイツならではのド直球のネーミング。

さて、バヴァリアの水は重炭酸塩が多く、ホップの効いたビール造りには向かないというのは既に述べたとおりである。では、ピルスナータイプのビールをこの地で作るとどうなるか。結果は、色が淡いにも関わらず、ホップのアロマや苦味といった特徴は控えめで、どちらかというとモルトの甘みや香りが前面に出たビールとなっているのである。さらには色の濃いデュンケルのようなビールで感じられなかったような麦芽由来の硫黄香がほのかに感じられ、香りのアクセントとなっている。

これら黄金色のビールは、ドイツのみならず、ベルギーや英国など他のヨーロッパ諸国、さらには海を渡って南北アメリカ大陸やアジア、オセアニアに至るまで、またたく間に世界中を席巻することとなる。特にアメリカやオーストラリアなどの乾燥した地域や、日本を含むアジア諸国の高温多湿な地域では、よりボディが軽く、ドライで喉の乾きを癒すのにふさわしいものが好まれるようになる。そのために、麦芽の使用比率を抑えて、米やトウモロコシなどの副原料を用いたラガーも数多く作られるようになっているわけである。

いまや、世界のどこの国に行っても黄金色のラガーが飲めない地域など、この惑星上にはほとんど存在しないだろう。世界中のどの街でも、ピルスナータイプのビールを求めて酒屋を何軒もはしごしなければならないような努力は不要である。ただし、正真正銘のボヘミアスタイル・ピルスナーや、よりホッピーなジャーマンスタイルで品質の高いものを欲しいと思えば、話は別である。

実は、このようにピルスナータイプのビールが世界中に広がっていく過程では、その大きな波に飲み込まれて絶滅に追いやられてしまったビアスタイルもあったことが知られている。これについては、またいずれどこかで触れることにしよう。

代表的銘柄

《ボヘミアスタイル・ピルスナー》
  Pilsner Urquell(チェコ)
  Budějovický Budvar(チェコ)
  遠野麦酒ZUMONA・ゴールデンピルスナー(岩手県/IBC2021金賞*)
  羽生の里・こぶし花ビール・ピルスナー(埼玉県/IBC2021金賞*・JGBA2021銀賞**)
  妙高高原ビール・ピルスナー(新潟県/IBC2021銀賞*)
  横浜ベイブルーイング・10 Year ピルス(神奈川県/IBC2021銀賞*)
  スプリングバレーブルワリー・COPELAND(東京都/JGBA2021銀賞**)
  開拓使麦酒・ピルスナー(北海道/IBC2021銅賞*)
  奥能登ビール日本海倶楽部・ピルスナー(石川県/IBC2021銅賞*)
  Nikko Brewing・The Nikko Monkeys Premium Lager(栃木県/JGBA2021銅賞**)
  KOBO Brewery・プレミアントピルスナー(富山県/JGBA2021銅賞**)
  長濱浪漫ビール・淡海ピルスナー(富山県/JGBA2021銅賞**)

《ジャーマンスタイル・ピルスナー》
  Radeberger Pilsner(ドイツ)
  Jever Pilsner(ドイツ)
  横浜ビール・ピルスナー(神奈川県/JGBA2021金賞**)
  金しゃちビール・ピルスナー(愛知県/IBC2021銀賞*)
  富士桜高原麦酒・ピルス(山梨県/IBC2021銀賞*・JGBA2021銀賞**)
  霧島酒造・KIRISHIMA BEER PILSNER(宮崎県/IBC2021銅賞*)
  胎内高原ビール・ピルスナー(新潟県/JGBA2021銅賞**)
  長島地ビール・ピルスナー(三重県/JGBA2021銅賞**)
  八海醸造・RYDEEN BEER PILSNER(新潟県/JGBA2021銅賞**)

* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

ここに示したように、日本でも優れたピルスナーが数多く作られている。ぜひお住まいの近くのブルワリーで作られた新鮮なビールを思う存分味わってみてほしい。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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