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「輝ける千葉のローカルスター☆」ジャガーさん、JAGUAR星☆へと帰還する

10月4日の夜、突然の発表に驚き、動揺しました。

千葉県民に愛され、チバテレビの象徴とも言うべきローカルスター、ジャガーさんがこのほどJAGUAR星に帰還されたというのです。



千葉県民だった高校生の頃、
「ジャガー体験」は衝撃でした。

チャンネルをバチバチ変えてたら(当時はひねってた)、千葉テレビ(当時)の夕方6時55分~7時の5分番組、伝説の「ハロージャガー!」の衝撃映像を、たまたま目撃してしまったのです。

「なんだ、これ!!!?」

予備知識ゼロでしたから、あまりの驚きに叫びそうになりました。

格好は、デビッド・ボウイかロッド・スチュワートか、もしかしたらスティーブン・タイラー風のイメージかもしれません。

ピタピタのパンツに袖無しTシャツ、金髪で化粧したおじさん(後年の厚塗りを越えたお面みたいな顔ではまだなかった)が、グラムロック風の音楽をバックに登場。

そして、明らかにエコーを掛け過ぎてボワボワした声で、

「ハロォォ、ジャガでぇーーす!
(*確かにジャガと言ってた笑)

み・ん・な、元気かぁーーい!!」

とがったファッションとは裏腹に、思いのほかフレンドリーな呼びかけ。

そして、自分の曲のMVを紹介へ。
その格好からヘビメタかハードロックかと予想していたら、流れ出すのはのどかな田園を思わせるシンセサイザーの音。

ん??

フォークソング? 
「シンセを使った吉田拓郎」??

声はハスキー。ただ、ハードな曲を歌えるほどの声量が無くて、ウィスパーボイスに近く、独特の節回し。

ナニ風とは表現しにくい。
ま、ジャガーさん節。

ファッションと、生真面目な喋りと、作る音楽、ハスキーなジャガーさん節、曲のタイトルが「船橋・市川の娘」とか。

「え? はい?」

歌詞も過激なことや暴力的なことではなく「自分の身の回り半径1メートルから探しました」みたいな、小学生の夏休みの絵日記的フレーズが並んでる。

すべてがちぐはぐで、
それぞれの主張が強すぎて、
異質なものを組み合わせすぎた結果、思いっきりハレーションを起こしてました。

番組の最後は恒例の告知タイム
(5分番組とは思えないほど濃密な、無限地獄的な5分間もようやく終盤)。

レコードとライブ情報で、問い合わせ先は「ジャガーレコード」だったかな。
電話すると「リフォーム店の従業員のおばさんが出る」という噂でした。

こちらのMVの冒頭部分が実際の「ハロージャガー!」です。
こんな感じで、変な映像から始まり、妙にフレンドリーな喋りで「元気かーい!」と呼びかけられて、また変なMVを見せられて、告知で終わり。


「なんだよこれ???」

高校生にこの破壊力は刺激が強すぎました。ついつい毎週見ていたら(ジャガー現象、いやジャガー中毒)、鼻がきく人ってどこの世界にもいるんですよね。

「こんな奇妙な番組がある」とポツポツと「ハロージャガー」がメディアに取り上げられて、ジャガーさんは千葉テレビやTVK、テレビ埼玉という関東のU局ネットワークの枠を越えて「ちゃんとしたテレビ番組」(オールナイトフジとか)に呼ばれて出演するようになります。

いわゆる第一次ジャガーさんブームですね。

(記憶では、当時の人気番組夕やけニャンニャンにも出てた覚えが……)

メディアでは、ジャガーさんのプロフィールが紹介されるようになり、今や誰もが知ってる「千葉で洋服のリフォーム店を経営しながら音楽活動してて、自分のお金で番組の枠を買い、自分のMVを流している社長」という真の姿を知るわけです。

実際に、市川を歩いてて「ここがジャガーさん経営のリフォーム店か」と噂の店の前を通ったことがあります。

「あの格好で作業してる」という都市伝説は残念ながら確認できなかったですけど、パートのおばちゃんが2、3人忙しそうに働いてました。

その後、10年間、活動を休止して、社長業にまい進。2004年に突然、チバテレビのキャンペーンで復活(ここまで全部、ウィキペディア情報)。

そして「月曜から夜ふかし」で取り上げられて二度目のブレイク。

そのこと自体は、まあよかったと思います。「千葉県民のジャガーさん」から人気番組の面白キャラへ。

ただ、あれはジャガーさんがあえて「キャラ化」して、いろんな人を楽しませるための擬態だったと思うんです。

「ハロージャガー!」の頃は「普通、こういうタイプの人に話しかけねえんだよ」(byザ・マミィ)でいうところの「こういうタイプの人」の危ない匂いがプンプン漂ってたように思うんです。

喋ると、丁寧語の「会社経営者」ですけど。
やっぱりモノ作りしてる人だから、とがっている部分は持っていただろうし、どの番組に出ても「芯」は感じました。


ちなみに、ジャガーさんのキャラが注目されて、あちこちのテレビに引っ張り出されてましたけど、正直、どれも面白くはなかったです。

「兄貴キャラ」で出演させられて、人生相談みたいなのをやって全然上手くいかなかったり。

ありがちな「キャラの設定いじり(こりん星いじりみたいクソ面白くないヤツです)」で、全然つまらないやり取りをさせられたり。

そういうテレビ的なお約束をそつなくこなしてタレントさんになったのがデーモン小暮閣下ですよね。全然ダメダメだったのがカブキロックスの氏神一番。

その中間がジャガーさん、というのが私のイメージです。ジャガーさんは生真面目さでその場は持たせるけど、決して面白くはないし、そんなにつめ跡も残さない。
そもそもジャガーさんに「つめ跡を残して有名になろう」はなかったでしょうし。

ジャガーさんの魅力は「ハロージャガー」に凝縮されてて「月曜から夜ふかし」も含めて、どこも上手くいじったりは出来てなかったな、と、十代で「ハロージャガー」体験を持つ私は思うのです。

(「月曜から夜ふかし」は、1972年千葉生まれでおそらく「ハロージャガー」体験のあるマツコ・デラックスさんがMCで、取り上げ方にジャガーさんリスペクトはあったのかな、とは思います。雑ないじり方で不快になることはなかった)


昨夜は、ウィキペディアの「ジャガーさん」や「ハロージャガー」情報をたんねんに読みました。

「父は「心象の鬼才」と称される日本画家の村上馨」という記述があって、納得したところがあるんです。

ジャガーさんは、自分の好きな格好して、好きな音を出して、「全部自分の好きなもの」を集めて、ジャガーワールドを作り上げることだけに情熱を傾けたアーティスト。

「ケレン味のない草間彌生」でしょうか。

若い才能に活動の場を提供するため、ライブハウスやスタジオを経営したり。
ミュージシャン志望の若者たちを応援して、彼らが後年有名になっても吹聴したり自慢話にしなかったジャガーさん。

「下積み時代のXーJAPANやGLAYもジャガーの世話になったと言われている。特にXーJAPANのhideは、ジャガーが経営する美容室で働いていたことがあり、TAIJIは喫茶店で働いていたことがある」(ウィキペディアより)

千葉の偉人ですよ、ジャガーさんは。

きっと今頃はジャガー星から、地球(千葉を中心に)を見守ってくださっていることでしょう。


突然すぎて、しばらく元気は出ないですけどね、ジャガーさん。


「ファイト!ファイト!ちば」の公式動画です。



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