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私は行動しない、と決めた。

ほたる祭りが終わった。
この小さな里山の地域で最大のイベントである、ほたる祭りが。

自治会の職員になってはじめてのほたる祭りは、予想を超えて人が来たことを除けば成功だったと言えるだろう。私も1年の中で1番大きなイベントが終わって、心底ほっとしている。
そしてこれを機に私は「行動しない」人になることにした。

私は行動しない。
それを第一の行動原理とする。

小塩に移住してから4年とちょっとの歳月が経った。物件を見つけてからは5年という月日が流れようとしている。その間、私は休む暇なく行動し続けた。
家の修繕に始まり、田んぼの耕作者になり、営農組合を追いかけて作業を見せてもらい、地域行事には駆けつけて写真を撮り、おばあちゃんたちとお茶作りをし、団体を運営してイベントやワークショップを主催し、店を開き、地域の役を務め、そして今年から小塩地域でははじめて移住者から自治会の職員になった。
午前中はスーパーでパートとして働き、午後からは活動できるように時間を空け、犬やら猫やらの面倒を見る。そして自分のことは一番後回しで、掃除や片付けと食事作りをなんとかしていた。

経済状況も含めて、それらすべては泥の舟に乗っているようなもので、私の暮らしや私の人生はいつ沈んでもおかしくない。
もちろん、その一瞬一瞬はとても素晴らしい濃密な時間を過ごしてきているし、きっと人が体験できないであろう多くの事に関わることができた。

そんな状況がこれからもしばらく続くだろうと思っていたのだけれど、ほたる祭り前からの1週間と、ほたる祭りを終えてのこの2日ほどで、諸々を考え直す必要性が出てきた。

あまり多くの事情は書かないけれど、簡単に言えば家族の健康問題が浮上し家族で話し合いをした。その時に、私の人生の中で一番切り離すべきものは何かと考えたら、それは小塩の家だと、何の疑問もなくすぐに思った。
私は自分でも驚くほどあっさりとこの家を手放せば良いと言った。

自分の住む山と田んぼのついたこの家を維持し、この里山の地域に住むことの、金銭的時間的コストを考えると、ここを切り離しさえすれば、すべてが大幅に楽になる。もちろん、私と家族が得たこの場所はとても美しく、同じような物件はそうそうないということは分かっている。けれど、家族と小塩の家だったら家族なのは言うまでもない。

ただし、あと2〜3年はこの小塩での暮らしは維持しようと思う。その間に劇的に私の経済状況が改善したならば、このままここに住み続けることができるだろうし、それが出来なかったのならばこの家を売り払い、どこか小さな家を借りるか、あるいは両親と猫3匹と共に暮らせば良い。

その私の決めた2〜3年というデッドラインまでの間に、私がしようと思っていることは、本を読み、考え事をし、文章を書くことだ。

そして、そのために一番大事なことは「行動しない」ということだった。
実を言えば、行動することと考え事や文章を書くことの相性が悪いということはこの2ヶ月ぐらいずっと考えていたことで、私は家族の問題が起きるまで行動する人間でいようと思っていた。

けれど、私の主体は「考える事」にあり、考えた事は何らかの表現に落とし込むことに意味や価値がある(別にしなくても良いけれど、それぐらいの欲は持っておきたい)。

幸にして、考え事の種はこの小塩という地域からすでにたっぷりと頂いているので、これからは家に籠って自分の暮らしを最優先に、考え事と表現することに多くの時間を費やそうと思う。

さて、夕飯を食べたら散歩に行ってこよう。
今からの時間、この小塩の谷は美しい。

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